ブリヂストン美術館で、「ドビュッシー 音楽と美術」展が開催された。この春に、パリのオランジュリー美術館で開催された展覧会の、日本での巡回展。
展示品は、大きく3つに分けられる。ドビュッシーの直筆の楽譜など、直接ドビュッシーに関係するもの。次に、ドビュッシーと縁のある芸術家の作品。そして、直接ドビュッシーとは関係はないが、同じ時代の作品。
ドビュッシーの直筆の楽譜や手紙。小さく、しかも細い線で書かれたその楽譜を見て、ドビュッシーという人物像が、一瞬で理解できたような気がした。
裕福な家庭に生まれ、何不自由なく暮らしてきたドビュッシーは、晩年の髭面の趣とは異なり、実は繊細な感覚を持った人物だったのだろう。
ドビュッシーが所蔵していた、日本の鍋島焼きのインク壷、鯉の蒔絵の工芸品などが展示されていた。ドビュッシーは、当時、パリでジャポニズムとして紹介されていた日本の工芸品に興味があった。有名な、交響詩『海』にちなんで、北斎の「神奈川沖浪裏」の浮世絵が飾られていた。
鯉の蒔絵の工芸品からは、『金色の魚』を作曲した時に、インスピレーションを受けており、ドビュッシーにとっては、当時の自分の身の回りの芸術作品から、多くの曲のイメージを得ていた。
ドビュッシーは、音楽と同じくらい絵画が好き、と語っていたという。多くの画家とも交流していた。
そのうちの一人、モーリス・ドニの『イヴォンヌ・ルロールの3つの肖像』。この女性には、ドビュッシーもドニも、同様に恋心をいだいていた。一人の女性の3つの肖像が、一つの絵の中に描かれている。くすんだ青と緑を基調に描かれた、ドニらしい、そして美しい作品。ドビュッシーも、この女性に曲を捧げている。
ドビュッシーの代表曲、『牧神の午後への前奏曲』。この曲は、詩人のマラルメの依頼で作られ、これを気に入ったダンサーのニジンスキーが、ルーブル美術館の古代ギリシャの壷の絵をイメージして、ダンスを振り付けた。
まさに、芸術ジャンルの枠を超えた響宴だが、会場には、マネによるマラルメの肖像、ニジンスキーの『牧神の午後への前奏曲』を踊る写真、そしてルーブル美術館の古代ギリシャの壷が展示され、そうした奇跡のコラボレーションの雰囲気を味わえる、憎い演出がされていた。
また、直接ドビュッシーとの結びつきはないが、同時代の多くの絵画が、オルセー美術館やブリヂストン美術館から展示されており、当時の時代の雰囲気を感じることができた。
この展覧会を見て、ドビュッシーの音楽は、19世紀末から20世紀初頭にかけての、パリの新しい芸術環境が、一人の天才的な個性を通して、生み出されたものだということが、よくわかって、興味深い内容だった。
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