ここで、鎌倉時代から室町時代にかけて活躍し、神奈川県にも縁のある、夢窓疎石に関する。特別陳列が行われていた。
夢窓疎石は、1275年に伊勢の地で生まれ、その後、甲斐の国で、蘭渓道隆派の元で禅の修行を行った。
その後、鎌倉の建長寺、円覚寺などで僧として修行に励んでいたが、その得意な才能が時の権力者の眼に留まり、彼は歴史の表舞台に狩り出されることになった。
後醍醐天皇、足利尊氏、足利直義などの、いわば精神的な師となり、京都の天竜寺の造営や、多くの庭園を設計を行った。
会場には、夢窓疎石の銅像、肖像画、書など、あるいは、後醍醐天皇などの、関連する人々の書などの作品が展示されていた。
禅僧という枠でいえば、日本の歴史の中で、最も影響力のあった存在が、夢窓疎石と言えるだろう。室町時代は、まさに、禅の時代だった。
現代も、岩波文庫などで安価に手に入れることのできる『夢中問答』。夢窓国師が、足利尊氏の弟、足利直義からの様々な質問に答える形式の、禅の思想書。
南北朝時代の金沢本が展示されていた。奇しくも、現代の文庫本のようにサイズが小さい。この本は、室町時代は勿論、江戸時代、そして明治以降も、出版元は変われど、常に、出版され続けてきた。
原文で読んでも、その大意は現代人でも理解できる。”お金や物に捉われていては、幸せは決して訪れない。”と語るその内容は、現代人の心にも強く響く。
その一方で、展示品の中には、自らの宗派、疎石派の寺の経営のために、権力者に出した書簡などもあり、夢窓疎石の世俗的な側面も垣間見えた。
時代の大きな流れが、一人の禅僧を、時代の頂点に押し上げて行った。その時代の残り香を、ほのかに嗅いだような気がした。
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