2012年9月17日月曜日

19世紀のロシアの人間を描いたレーピン

イリヤ・レーピンという画家について、これまでは、『イワン雷帝と皇子イワン』という絵画の作家、ということしか知らなかった。

渋谷のBunkamuraザ・ミュージアムで行われた、日本で初めてとなる、本格的な回顧展を見て、その存在の大きさを実感することができた。

残念ながら、その『イワン雷帝と皇子イワン』は、本編ではなく、小さな習作しか出展していなかった。

『イワン雷帝と皇子イワン』では、期せずして、皇子イワンを殺してしまったイワン雷帝が、自分のしたことに戦慄して、血だらけの皇子イワンを抱きしめている、というグロテスクな絵だが、何よりも、イワン雷帝の白目になった目の描き方が素晴らしい。

この白目を使った技法は、レーピン独特の技法で、展覧会においても、『皇女ソフィア』や『思いがけなく』という作品でも、効果的に使われていた。

『皇女ソフィア』では、ソフィアが、異母弟のピョートル大帝に幽閉され、彼女の使用人が拷問を受けているのを、腕を組んで異母弟への怒りに震えている。その目が、まさに白目を剥いている。

また、『思いがけなく』では、革命に身を投じていた息子が、思いがけなく実家に戻っている。その招かざる客の突然の訪問に、幼い兄弟達が、まさに白目を剥いて驚いている、といった情景を描いている。

展覧会では、数多くの肖像画も紹介されていた。自分の妻や子供を描いたものもあれば、ムソルグスキー、トルストイなどの歴史上の人物を描いたものもある。誰を描いても、その念密に描かれた表情から、その人物の性格まで描ききってしまう、レーピンの技術の高さに感銘を受けた。

レーピンは、今のウクライナの地で生まれたが、ウクライナ人ではなく、両親はロシアからの入植者だった。しかし、コサックを生んだウクライナの大地の記憶は、いつもレーピンの心の中にあったのだろう。

『トルコのスルタンに手紙を書くザポロージャのコサック(習作)』では、スルタンからの脅迫めいた手紙に対して、それを笑い飛ばしながら返事を書いている、自由なコサックの人々の姿が、見事に生き生きとして表情で描かれている。

レーピンの絵画を見ていると、”ロシア的なものとは何か”について、思わず考えてしまう。”ロシア”といっても、様々な民族があり、一言で表現することはできないが、そこには、明らかに、他の地域とは違った”何か”があり、音楽、文学、絵画について、他の地域とは明らかに異なった作品を生み出している。

これから、ロシアという言葉に出会う度に、私は、チャイコフスキーやトルストイ、ドストエフスキーらとともに、レーピンの絵画を頭に浮かべることになるだろう。

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