2012年9月23日日曜日

マリー・アントワネットという物語を読む

横浜のそごう美術館で開催された、マリー・アントワネット物語展を見た。


この展覧会の名前、特に”物語”という部分は、多いに示唆的だ。おそらくは、この展覧会にも関係している、池田理代子の『ベルサイユのばら』を意識しての命名だろう。

しかし、このマリー・アントワネットという一人の女性の生涯は、”物語”という言葉に相応しい。

ハプスブルグ帝国の末娘として生まれ、わずか14才で、当時敵国とされていたフランスのブルボン王朝に嫁ぎ、その一挙手一投足が、政治的な事件となる環境で、青春時代を送った。

フランス革命後は、優雅な王族の暮らしから一転して、牢獄での生活となり、わずか37才で、断頭台で首を切り落とされて命を落とす。

その一生は、まさに、物語。彼女は、あくまでも、物語の主人公にすぎない。


この一人の女性の周りには、あまりにも、いわゆる制度、とでもいうべきものがまとわりついており、なかなか、その人間としての側面にたどり着ことはむずかしい。

会場には、復元された美しい衣装、実際に使われた、小物入れ、時計、ボタンなどが展示されていた。

しかし、それらは、人間が実際に使っていたもの、というよりは、はじめから、博物館に展示されるために作られたような、人間くささが感じられない代物ばかりだった。


ヴィジェ・ルブランによる、マリー・アントワネットの顔のアップと、子供達との肖像画の2つの作品があった。ヴィジェ・ルブランも、時代の流れに翻弄された女性だった。

当時では珍しく、女性の画家として、フランス革命直前のフランスで、王族や貴族の肖像画かとして活躍し、フランス革命後は、ロシアに逃れ、そこで画家としての活動を続けた。

また、当時のブルボン王朝による、華麗な晩餐会や、花火を打ち上げる催し物の様子などを描いた、版画や絵画が展示されていた。

それらを見ると、革命の足跡が近づいているにもかかわらず、王族や貴族達が、いかにばか騒ぎを行っていたかがわかる。

ひとつの時代が変わる瀬戸際は、いずれの時代も、同じような光景が展開されるのかもしれない。


断頭台に向かうマリー・アントワネットの、大きな絵画が会場の最後の方に展示されていた。その絵画の中での彼女は、顔を上げて毅然と正面を向き、あくまでもフランスの女王として、最後までその高貴な精神を貫いた、という風に描かれている。

果たして、人生の最後に当たり、この女性の心の中には、どんな思いがよぎったのだろうか?

その応えは、誰にもわからない。すべての答えは、彼女の物語の中にある。

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