”具体”という芸術集団の名を知ったのは、東京現代美術館で行われた、そのメンバーの一人だった田中敦子の展覧会においてであった。
その”具体”をテーマにして、大規模な回顧展が開かれていると聞いて、会場の新国立美術館に足を運んだ。
”具体”は、裕福な家庭に生まれ、戦前から前衛芸術家として活動いていた吉原治良が、周囲にいたアーティスト達と1974年に結成した芸術家集団だ。
抽象芸術だけを表現する、というのがその”掟”だったが、”具体”というのは、それにそぐわない気もする。”われわれの精神は自由であるという証を、具体的に提示したい”ということから、”具体”と名付けられたという。
会場には、このグループの初期の作品から、1972年に吉原の死によって解散を迎えるまでの、全期間を通じての作品が展示されていた。
活動初期は、絵画あり、オブジェあり、パフォーマンスあり、といった何でもありの状態だった。高校時代に、文化祭のために、夜遅くまで迷路を作っていたことを思い出した。
彼らの活動は、フランスで”アンフォルメル”芸術を標榜していたミヒャエル・タピエの目に止まり、彼を通じて、西洋社会に広く紹介されることになった。
タピエは、彼らの作品を西洋の美術マーケットで流通させるために、吉原に、キャンバス作品に集中するように要請し、”具体”の作品には、それまでのオブジェやパフォーマンスは姿を消した。
時代から自由だと思われがちな抽象芸術も、美術マーケットを無視しては存在できない。この”具体”の変身には、現代社会における芸術のありようを、考えさせられる。
後期には、その活動がマンネリ化したことを受けて、吉原が新しいメンバーを入れるなどして活性化を図り、オブジェやパフォーマンスも復活することになった。
1970年に大阪で開催された万国博覧会では、主催者側からの要請もあり、”具体”による大規模なパフォーマンスが開催された。
その時のパフォーマンスが、映像で紹介されていた。そのパフォーマンスの見ていると、何となく、当時の時代の雰囲気に、むしろ”具体”が、踊らされているようにも見えた。
1974年に、吉原の突然の死を持って、”具体”は解散を宣言する。”具体”とは、紛れもなく、吉原というアイーティストの存在そのものだった、と言っていいのだろう。
率直に言って、会場に展示されていた、作品の1つ1つには、それほど大きな驚きは感じられなかった。今日、普通に目にする抽象芸術と、大きく異なった点はなかったからだ。
しかし、そのことは、ある意味では、当時の前衛的な抽象芸術であった”具体”が、今日では、すでに古典になっていることを意味している。
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