2012年9月27日木曜日

日本人が書に込めた思いとは何か


大蔵集古館で開催された「国宝 古今和歌集序と日本の書」を見学した。

この展覧会の目玉は、最近修理が終わった、藤原定実の手による古今和歌集序、の展示。

13世紀、鳥羽天皇、白河天皇、という王朝文化の最後の輝きがあった時代の作品。すぐ後には、源平の血みどろの戦いが待っている。

やがて、藤原俊成、定家の手によって、日本の書が大きく変わってしまう時代がやってくる。そんな時代の作品。

日本のいわゆる仮名文字は、中国から伝わった漢字をもとに、もともと、この国にあった言葉の音をあてはめて、作られたものだった。

今でも、漢字で書くと、肩肘の張った、堅苦しい文章、に見える。ひらがなで書けば、やわらかい、やさしい文章、に見える。

日本人にとって、漢字は外国の言葉で、そこに表される世界は、どこかよそ行きのものだったのだろう。ひらがなで、本当の思いを伝えることができた。

およそ、千年前に書かれた、文字通り、まるでミミズのはった後のような、現代人にはとても読めない、古今和歌集の仮名序をみながら、そんなことを考えてしまった。

奈良時代の印刷された陀羅尼経。芋版のようで、版に彫られた字が、たどたどしい。

聖武天皇の手になると伝わる、まるで習字のお手本のように整った漢字の書。

書というより、背景の色紙といったいとなったアート作品となっている、江戸時代の本阿弥光悦の作品。

幕末の西郷隆盛の七言二句の書。墨のハネがダイナミックで、まさに西郷の人柄がよく現れている。

日本人が、書に込めてきた思いとは何か、あらためて、考えさせられた展覧会だった。

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