2013年3月9日土曜日

江戸の文化とは歌舞伎のことである 〜 歌舞伎 江戸の芝居小屋(サントリー美術館)


2013年4月に、明治以来、5代目に当たる、新歌舞伎座の会場が行われる。

それに合わせて、六本木のサントリー美術館で、歌舞伎 江戸の芝居小屋、という名の展覧会が開催された。

折しも、その直前に、18代目中村勘九郎に続き、12代目市川団十郎も亡くなってしまい、歌舞伎界は大きなショックに見舞われていた。

歌舞伎は、江戸時代の初めの京都で、出雲阿国によって演じられたかぶき踊りが、その祖であるといわれている。出雲阿国の興行を描いたといわれる、江戸時代の屏風絵には、男装して踊る阿国の姿が描かれている。

その後、江戸幕府によって、女性が歌舞伎を踊ることは禁じられた。

今では、決して見ることの出来ない、華やかなその光景は、いくつかの美しい屏風絵の中だけに、その雰囲気だけが残されている。

歌川豊国らの浮世絵師によって描かれた、江戸時代の歌舞伎の芝居小屋の内部の様子。西洋の遠近法で描かれた芝居小屋の中で目につくのは、舞台の上の役者たちより、それを見物している江戸の町民たちの姿だ。

食事をしたり、お酒を飲んだり、隣の人と歓談に興じたりと、今日の観客席の様子とは全く異なっている。中には、喧嘩をしている人々もいて、何でもありの空間だったことがわかる。

そして、展覧会のハイライトは、なんといっても浮世絵。鳥居清信、奥村政信、勝川春章、歌川豊国、国芳らによって描かれた、多くの役者絵が展示されていた。歌川広重も、名所江戸百景の中で、歌舞伎小屋があった猿若町の様子を描いている。

役者の個性、その役柄の雰囲気、華やかな衣装を、どのように描くかが、その浮世絵師の絵の力を図る大きなバロメーターだった。シンプルな線だけでそれを表現した鳥居清信、豊かな色彩と大胆なデフォルメの歌川豊国。

そうした浮世絵には、個々の役者のみならず、当時の江戸の雰囲気が描かれている。

会場には、多くの歌舞伎ファンが訪れており、あの役者の先祖がこの浮世絵だとか、この間のあの舞台は面白かった、などと、友人と会話しながら展示物を鑑賞している人が多く、ふつうの展覧会とは、その様相を異にしていた。

この展覧会を見ると、歌舞伎は、その誕生以来、つねに危機に見舞われていたことがわかる。それが、今日まで、およそ400年も続いてきたのは、たゆまぬ模索を続けた興行師、役者と、それを厳しい視点と熱い思いで支えた観客があったからだということが、よくわかった。

これからも、歌舞伎が真の芸術として生き残っていくかどうかは、その関係を、受け継いでいけるかどうかに、かかっているといえる。

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