古都、鎌倉にある神奈川県立美術館、およびその別館において、現代への扉 実験工房展 戦後芸術を切り拓く、という名の展覧会が開催された。
初めて、この美術館を訪れた。
その印象的な建物がまず目に入る。ル・コルビュジェに師事した板倉準三による設計の建物で、日本を代表する近代建築の1つだろう。
実験工房は、1951年から1957年に、公演を中心に活動を行った、芸術家集団。詩人で美術評論家でもある瀧口修造の、”日本の近代芸術は・・・何よりも実験精神が必要だと思います”という言葉から、その名前が取られている。
そのメンバーには、作曲家の武満徹、湯浅譲二、画家の福島秀子、版画家の駒井哲郎などの錚々たる名前が並ぶ。
直接グループには関わらなかったが、交流したメンバーには、岡本太郎、三島由紀夫、谷川俊太郎、黛敏郎、芥川也寸志、オノ・ヨーコなどがいた。
展覧会場には、公演のパンフレット、写真や映像、衣装や舞台のデザインのための資料、楽譜、参加した作家たちの作品などが並んでいた。
その最初の公演は、1951年に日本橋の高島屋で開催された、ピカソ展との連動企画としてのバレエ『生きる悦び』の公演だった。
しかし、残念ながら、その資料はほとんど残されていない。展示スペースには、パンフレットや楽譜、写りの悪いセットの写真などしか展示されていない。文字通りの、伝説の公演だった。
1955年に行われた公演は、シェーンベルグの『月に憑かれたピエロ』を仮面劇に仕立てた公演。アルルカン役に能役者の観世寿夫、ピエロ役に狂言師の野村万作を迎えた、伝統芸能とのコラボレーションによる実験的な内容。
会場には、当時の貴重なカラースライドがスライド上映され、その画期的な舞台の再現を行っていた。
その同じ日の公演では、三島由紀夫の『綾の鼓』という近代能楽集からの作品も上映された。今日では、想像もできないような、奇跡のような公演といっていい。
別館では、実験工房のメンバー、北代省三、山口勝弘が美術で参加した、『銀輪』という松本俊夫監督の1956年の映画が上映されていた。
自転車の車輪が、子供の想像力で、様々なイメージに変わっていくという、文字通り実験的な作品。特撮は、ウルトラマンなどの生みの親、円谷英二が担当していた。
それにしても、戦後の芸術に先駆的な実験工房という芸術グループに関する展覧会が、鎌倉という古い都のあった地で開催されたのは、実に興味深い。
この展覧会で目にしたものは、戦後の1951年から1957年という混乱から安定への時代の中で、確実にこの世に実現した、奇跡の記録といっていいだろう。
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