2013年3月24日日曜日

華やかなファッション写真の裏側〜アーウィン・ブルーメンフェルド 美の秘密(東京都写真美術館)


この展覧会に行く前は、アーウィン・ブルーメンフェルドによる様々なファッション写真を楽しむ、ということだけを意図していた。

確かに、前半は、文字通り、その通りの内容だったが、後半部分を見て、その期待は、いい意味で、大きく裏切られた。

ブルーメンフェルドは、1897年にドイツ・ベルリンのユダヤ人の家庭に生まれた。ナチスの台頭により、パリへ逃れた。

若い時は、前衛的な芸術運動ダダにも参加し、マン・レイやモホリ=ナジらと同じ展覧会に写真を出品していた。

会場の後半には、ファッション写真とは全く趣の違った、マン・レイのような、商業的でなく、芸術的な写真が数多く展示されていた。

ヒトラーの顔をわざと崩した写真、地上に移るエッフェル塔の影を写した写真、裸体の女性の上半身だけを写した写真などなど。

ブルーメンフェルドは、パリで偶然にイギリスのファッション写真家、セシル・ビートンに声をかけられ、それが縁で、アメリカに渡り、ヴォーグを始めとしたファッション雑誌で活躍することになった。

そうした背景を知って、あらためてブルーメンフェルドのファッション写真を見てみると、実はその中に、単なるファション写真ではない、様々な要素を見つけることが出来る。

美しい映画女優、モデルたちのポーズは、そのフォルムが計算され尽くしている。複数の女性達に、違う色の原色の洋服を着せ、線を描くように並ばせたり、口からタバコ煙を吐かせてみたり、頬杖をついている下から別な腕を出させて、あたかも4本の手で頬杖をしているようにみせたり。

そこに展示されていたのは、単なる、キレイで美しいファッション写真ではなく、デザインセンスに溢れた、まさしく芸術写真だった。

しかし、ブルーメンフェルド自身は、最後までファッション業界における自分の存在を”よそ者”と捉えていたという。

晩年に、自らの生涯の100枚の写真を選んで写真集を出版した。会場にはその100枚が展示されていた。その中には、ファッション写真は1枚も含まれていない。

この日から、アーウィン・ブルーメンフェルドという写真家の名前は、私の心の中に、深く刻まれることとなった。

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