2013年1月6日日曜日

人物のスケールの大きさに圧倒される〜白隠展


渋谷のBunkamuraザ・ミュージアムで、白隠展が開催された。

40カ所以上の所蔵元より、およそ100点に上る白隠の作品が集められ、その全貌が伺える、大規模な展覧会だった。

展示されている作品は、70代、80代の晩年のものが多い。水墨画は、描くこと自体は、それほどの時間を要しないので、多くの絵を描けたのだろうが、その旺盛な創作力には、ただただ驚かされる。

白隠にとっては、水墨画を描くことは、まさに禅の行いそのものであったのだろう。

白隠の代表作ともいえる、半身達磨。絵の中央に、大きく描かれた丸い目玉が、一度見たら、二度忘れられない、強烈な印象を残す。

これは、80代の作品で、他に展示されていた40才の頃の何枚かの作品では、もっと写実的な、達磨の絵を描いている。

同じ対象を描きながら、40年という歳月の中で、白隠の中では、達磨に対する心的なイメージが変わったのだろう。

逆に、同じ時期には、同じような達磨、観音像を多数描いている。

白隠というと、大胆なタッチで、大味な絵のイメージが強いが、地獄極楽変相図、観音十六羅漢、などの絵を見ると、細かいタッチで、多くの人物や風景を描いている。

一休も修行した京都の大徳寺の開山、大燈国師を描いた3つの作品。いずれも、ズタ袋を手に、ぼろぼろの服をまとい、托鉢する国師の姿が描かれている。

その姿は、白隠にとって、僧としての、1つの理想の姿であったのだろう。

白隠の書。太い筆で、ダイナミックに、紙一杯に書かれている。南無阿弥陀仏や権現の名など。最後の文字はスペースが足りず、小さく描かれているものが多い。白隠の自由闊達さを表している。

その一方で、知人に与えた長文の書では、はっきりした、美しい字で長々と法語を連ねている。白隠の、禅僧としての一面が垣間見える。

白隠は、その描いた絵だけでも、その名前を歴史に刻むべき人物だが、現在の臨済宗の寺のほとんどが、彼の系列に属するという、日本の禅を作った存在でもある。

その人物としてのスケールの大きさに、ただただ圧倒された、そんな展覧会であった。

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