美術・芸術関連の展覧会に行った時の感想をアップします。もし興味があったら、ご覧ください。My comments to the art exhibitions in Japan.
2013年1月3日木曜日
能楽堂に行ってみたくなった〜観世宗家展
銀座の松屋で、観世宗家展が開催された。2013年は、観阿弥の生誕680年、その子、世阿弥の生誕650年にあたり、それを記念したもの。
また、正月に相応しい展覧会でもあった。
日本で最初の、本格的な演劇といわれるのが、今でも演じられている能。これを実質的に作り上げたのが、観阿弥、世阿弥の親子だといわれている。
特に、世阿弥は『風姿花伝』という、能を演じるにあたっての手引書を記した。その中の”秘すれば花”という言葉は、能という分野を越えて、日本人の思想を表現する言葉として定着している。
展示品は、主に、能面、能装束、そして古文書などで構成されていた。それらの品々は、観世宗家に代々伝わる、貴重な歴史の遺産でもあり、現在でも実際に使われている、現役の道具でもある。
能は、仮面劇である。演者は、表情が変わらない仮面を被り、その演技で、その変わらない表情を使い、様々な感情を表現しなければならない。
平安時代の翁の能面。文字通りの満面の笑みの表情。作者の弥勒は、10世紀末に活躍した伝説の能面作者だったという。
その時代は、まだ能という芸能は確立されていなかった。民間芸能として、仮面劇が演じされていた。笑いは、人々の心を明るくする。今も、新年は”初笑い”という言葉をよく目にする。翁は長寿の象徴。翁の笑顔の能面は、それだけで、おめでたさを感じる。
他にも、若い女性の”小面”、若女、霊女、姥、山姥、般若、敦盛、痩男など。室町時代、江戸時代を代表する能面作家による、いろいろな種類の能面が、並んで展示されてた。
会場を華やかに彩っていたのは、能装束。しかし、そのパターンは、およそ20種類ほどしかない。
中には、室町時代の足利義政から与えられたもの、徳川家康、徳川秀忠から与えられた装束も展示されていた。それらは、今も特別な講演で実際に使われている。
能が成立した南北朝時代以降、能は常に時の権力者の庇護を受けてきた。歌舞伎が民衆に支えられた芸能だったのとは、対照的な歴史を経てきた。
観世宗家には、世阿弥の直筆による『風姿花伝』が伝えられ、会場にも展示されていた。
父の観阿弥が50代という若さで急死し、20代で家を継ぐことになった世阿弥は、その父の教えと、自分の経験を、ちいさな書物にまとめた。それが、今日では、万人に共有される日本の古典になっている。
観世宗家は、世阿弥の甥にあたる、音阿弥から続いている。世阿弥と音阿弥は、当時はライバル関係にあった。
世阿弥が、もしこの展覧会を見たとしたら、自分の作り上げた芸術が、およそ700年も続いていることに満足するだろうが、その反面で、それが音阿弥の子孫の家名で展示されていることに、複雑な思いが湧くかもしれない。
能はテレビでは見たことがあったが、能楽堂では見たことはない。この展覧会を見て、今年は、能楽堂に足を運んでみようかな、と思った。
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿