2013年1月14日月曜日

那智瀧図に描かれたもの〜新春の国宝那智瀧図展


新春を記念して、東京、表参道の根津美術館で、”新春の国宝 那智瀧図 仏教説話画の名品とともに”という展覧会が開催された。

国宝の那智瀧図は、一部屋を丸ごと使って、特別扱いで展示されていた。

13〜14世紀、鎌倉時代に描かれたといわれ、那智大社別宮のご神体、飛龍権現を表しているという。

それにしても、滝とは不思議な存在だ。山や岩をご神体とする場合は、山や岩そのものを祀れるが、滝とは、高い崖を水が流れ落ちているといういわば状態であって、その崖や水そのものは、ご神体とはならない。

絵を近くでよく見ると、今では色がくすんでしまっているが、描かれた当時は、山を覆う木々の色が、緑、黄、赤などで、鮮やかに描かれていることがわかる。

また、遠くからは、一筋に流れているように見える滝も、そのほとばしる飛沫まで、細かく描かれている。

飛龍権現は、千手観音が姿を変えたものだという。水と関連のある千手観音は、滝にふさわしい観音だ。

果たして、この絵に描かれているものは、一体、何なのだろうか?滝?飛龍権現?千手観音?あるいは、神や仏を信仰する人のこころ、ともいうべきものだろうか?

この那智瀧図の他には、同じ時代の仏教に関する説話画が展示されていた。

3幅の善光寺縁起絵。長野の善光寺は、日本に仏教が最初に伝わった時にもたらされた、といわれる阿弥陀三尊像を本尊としてる。

その阿弥陀三尊像が、どのように善光寺にもたらされたかを、3つの大きな絵で表している。色が黒ずんでしまっていて、細かい部分は、よく見えない。

高野大師行状図絵。空海の行状を絵と文章で表した絵巻物。両手、両足、口を使って書をしたため、唐の長安で”五筆”と呼ばれたり、雨が降らず、飢饉となった際に、京都の神泉苑の龍神を呼び出し、雨を降らせたことなどを、今のアニメのように描いている。

現代の視点で見れば、空海は唐にいた際に、農業用の池を作る土木技術を学んだ、ということになるが、当時の人々の視点では、空海は雨をもたらす龍神を呼び出すことが出来るた、ということになる。

3幅の聖徳大師絵伝。聖徳太子の生涯を、いくつかのエピソードで紹介している。仏教を巡る、物部氏と蘇我氏の争いを描いている場面は、まるで、源平合戦のよう。聖徳大師の時代ではあり得ない、兜や鎧を着た武士が戦っている。

どの時代も、その時代のコンテキストの中で、前の時代を見る。それは、現代においても変わらない。

仏教説話に関わる展示品は、20品ほどだったが、日本人が、どのように仏教を信仰してきたかがうかがえ、いろいろと考えさせられた展覧会であった。

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