宇都宮の栃木県立博物館の足利尊氏展を見た。
この博物館の開館30周年を記念する展覧会。地元に縁のある足利尊氏、あるいは足利家に関する多くの貴重な品々が展示された。
この博物館を訪れたのは初めてだった。片道2時間半以上もかかったが、その内容は、その時間を忘れさせるほど、素晴らしいものだった。
季節は11月の終わり。博物館のある公園は紅葉の最盛期。わざわざ遠出をして出かけたご褒美とも言えようか。
足利尊氏は、およそ300年続いた足利幕府の創始者だが、江戸幕府を開いた徳川家康に比べても、鎌倉幕府を開いた源頼朝に比べても、存在感が遥かに小さい。
『太平記』において、建武の新政を起こした後醍醐天皇に反逆し、それに対抗する形で北朝を擁護した悪役として扱われてしまったことがその遠因。幕末の水戸史観においても、尊氏は逆賊とされ、その影響は、現代にまで及んでいる。
最初のコーナーには、足利尊氏と関連する人々の座像や肖像画が展示されていた。
かつて教科書に足利尊氏像として紹介された肖像画は、今日では、その部下の高師直かその周辺の人物であると言われている。
しかし、幼い頃にこの肖像を足利尊氏として刷り込まれてしまった世代には、この絵を見るたびに、反射的に足利尊氏を連想してしまう。
次のコーナーでは、足利尊氏が書いた数々の書類が展示されていた。領地を安堵するもの、戦への出兵を促すものなど、内容は様々だが、いずれも、最後に”源朝臣 尊氏”と署名している。
今日、私たちは彼のことを”足利尊氏”と読んでいるが、当時、彼は”源朝臣 尊氏”と名乗っていたのだ。尊氏は、源義家の子、義国の子孫で、文字通りの源氏。ちなみに、頼朝は同じ義家の子、義親の系列だ。
尊氏は、仏教に深く帰依していた。尊氏が日課として描いていた、観音や地蔵の絵が展示されていた。
また、当時の高僧、夢窓国師、弟の足利直義と3人で写経した宝積経を見ると、尊氏の字が一番稚拙であることがわかる。夢窓国師が上手いのはいいとして、弟の直義が上手いので、尊氏の稚拙さが、余計目立っている。
尊氏と直義は、兄弟で力を合わせて室町幕府の基礎を築いたが、やがて対立し、和解せずまま、直義は非業の死を遂げた。
最後のコーナーには、尊氏を離れて、足利氏全体に関わる、様々な品々が展示されていた。
室町時代、雪舟と並ぶ水墨画の大家、祥啓の作品が何点か展示されていた。祥啓は、今の栃木県に生まれ、鎌倉の建長寺に長く務め、京都も訪れたことがある。
雪舟に比べて、知名度は低いが、当時は西の雪舟、東の祥啓と言われたという。
展覧会全体を通じて、足利尊氏という人物について、これまでよりも、その認識を新たにした。
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