2012年12月23日日曜日

激動の時代を生きた人々の跡〜鎌倉期の宸筆と名筆展


皇居の三の丸尚蔵館で、鎌倉期の宸筆と名筆、という名の展覧会が開かれた。

宸筆とは、天皇の直筆、という意味。文字通り、激動の時代を生き抜いた、天皇たち、また貴族や武士たちの直筆の書が展示されていた。


伏見天皇、後伏見天皇、花園天皇、後村上天皇、光厳天皇、後光厳天皇。鎌倉時代から南北朝時代にかけて、持明院統と大覚寺統に別れて争った天皇たちの書は、歴史を身近なものに感じさせる。


平安時代の末期に、摂政・関白を歴任した藤原忠道の直筆の日記。忠道と母違いの兄弟の藤原頼長の争いが、保元の乱、平治の乱を招き、武士の時代を迎えるきっかけを作った。

その筆跡は、日記ながら、しかっりとした筆跡で、実直な性格が伺える。おそらく、この日記を後世の人が読むことを期待していたのだろう。


藤原定家が写し書きした平兵部記。定家の独特の筆跡が、心に深い印象を残す。


西行の書状。自らの歌集を伊勢神宮に奉納するために、藤原俊成、定家の親子に評価を頼んだが、俊成からは答えが来たが、定家からは来ず、その催促の書状。

どういう意図かはわからないが、文章が斜めになったり、横になったりして書かれている、不思議な書状だ。


平清盛の子で、若くして亡くなり、それが平家の滅亡の一因とさえ言われる平重盛の書状。侍を使わすので、それを召し抱えてやって欲しい、と書かれた依頼状。

重盛の書状は、今日では、わずか数点しか残っていないという。決して達筆とは思えず、要件だけを簡潔に伝えている書状だが、それが、重盛という人物の、人となりを伝えている。

教科書にも書かれ、何度もテレビや映画で題材となった、激動の時代を生きた人々。そうした人々の書状を目にすると、確かに彼らが生きていたのだ、ということを実感できる。

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