2012年12月3日月曜日

いまだその全貌が知られていない鎌倉という存在〜再発見!鎌倉の中世展


鎌倉の世界遺産登録を目指したキャンペーンの一環として、鎌倉国宝館、金沢文庫、神奈川県立歴史博物館において、三館連携特別展として開催された、『武家の古都・鎌倉』展。

最後に訪ねたのは、横浜にある神奈川県立歴史博物館。それは、旧横浜正金銀行の味のある建物の中にある。


博物館ということもあり、この展覧会では、鎌倉時代以降の絵巻物、書状、そして鎌倉の発掘品などが展示されていた。

発掘品、ということ、古代の石器や鏡、というイメージが強い。しかし、鎌倉時代といっても、今からは800年ほど前の時代になる。その当時の品々は、立派な歴史の発掘品だ。

当時の鎌倉は、日本の首都だった。当時の中国は宋の時代。鎌倉には、宋から禅僧や商人など、多くの人が訪れていた。

勿論、彼らは手ぶらでやってきたのではない。鎌倉のかつての屋敷跡からは、彼らが持ち込んだ多くの品々が見つかっている。

館内には、多くの青磁の器、壷などが展示されていた。また、宋銭といわれる中国の貨幣も。

当時の日本では、そうした宋銭が日本の貨幣として流通していたという。現代でいえば、ドルのような存在だったのだろう。

北条氏の館跡からは、多くの呪いの言葉が書かれた木片が発見された。呪いの相手を焼き殺そうとでも思ったのだろうか?”火火火火・・・”と書かれた木片が印象に残った。

漆の器もいろいろなパターンのものが発掘されている。実に見事な動物や植物を描いた器もあれば、値段の安そうな、シンプルなイメージの漆の器もある。

武士というと、質実剛健、というイメージが強いが、鎌倉に暮らしていた武士たちは、漆の器や青磁などを使い、結構セレブな暮らしをしていたようだ。

今回、鎌倉にまつわる三館連携特別展を見ることで、鎌倉のこれまでのイメージが、大きく覆された。

鎌倉が日本の中心だったのは、およそ1200年から1330年のわずか130年ほどだった。しかし、そのわずかな期間に生まれた禅を中心にした文化は、その後の日本人の生活様式に大きな影響を与えた。

世界遺産への登録以前に、この国の中で、この鎌倉という地について、より理解を深める必要があるように感じた。

私たちは、鎌倉について、まだまだ知らないことが多すぎる。

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