鎌倉の世界遺産登録を目指したキャンペーンの一環として、鎌倉国宝館、金沢文庫、神奈川県立歴史博物館において、三館連携特別展として『武家の古都・鎌倉』展が開催された。
金沢文庫では、金沢北条氏が四代にわたって収集した、膨大な文書を中心とした展示が行われていた。
金沢文庫は、北条実時が13世紀後半に建設した文庫。特に、宋から輸入した膨大な仏典などの書物を保存していることで知られる。そこで保存されている文書の多くは、中国ではその後の戦乱で失われているものが多い。
現在は、同じく実時が建立した称名寺という古刹の隣に、ひっそりと再建されている。外見からは、そんなに重要な施設だとはまったく想像もできない。しかし、一歩中に足を踏み入れ、展示品を目にすれば、その内容の素晴らしさに、ただただ驚かされるばかり。
まずは、この金沢文庫を建てた北条実時から、貞将までのいわゆる金沢北条氏4代の肖像画。源頼朝や代々の北条執権の、確かな肖像画は、意外にもそれほど多くは残されていないという。そうした状況にあって、金沢北条氏については、その4代すべての肖像が残っている。これも、金沢文庫の存在があってのことだろう。
金沢北条氏4代最後の北条貞将は、新田義貞の軍勢による鎌倉攻撃の戦乱の中で、壮絶な最期を遂げたと言われている。
宋からもたらされた膨大な書物の数々。すべての教典を収めた、一切経。医学書。歴史書などなど。珍しいものでは、人相についての詳細な解説書などもある。
すべて、およそ700年前に印刷された書物が、いまでも実にキレイな状態で残されている。おそらく、京都や奈良、江戸ではなく、この金沢の地であったからこそ、これらの書物は残っているに違いない。
勿論、鎌倉時代の日本の古い書物も残されている。古今和歌集、新古今和歌集、栄華物語など。珍しいものでは、道元や日蓮の真筆もある。
鎌倉の極楽寺の開山である忍性の肖像や書状。忍性という僧は、宋に船を送り貿易を行ったり、あるいは、貧しい人々のために、数々の社会事業を行うなど、単なる僧、という存在を超えた、実業家としての興味深い一面を持っている。
忍性の肖像画を見ると、鼻が大きく、失礼ながら、あまりいい男には描かれていない。それが、鎌倉時代の時代の雰囲気を良く伝えている。
そうした数ある展示品の中でも、とりわけ目を引いたのは、鎌倉時代と戦国時代の2つの日本図。前者は、南北が逆で、しかも、日本の周りには、巨大なヘビが取り囲んでいる。
後者の日本図は、さらに不思議な図。弧を描く帯状の川のような図の中に外国が書かれており、その下に、日本が一つの島として描かれている。日蓮宗の寺に伝えられてきたもので、日蓮宗の世界観が表現されていて、興味深い。
金沢文庫の貴重な展示物を満喫したあとは、隣の称名寺を散策し、ちょうど色付き始めた
紅葉を味わった。
今は、完全に住宅地となってしまったこのあたりは、鎌倉時代は、間違いなく日本の知の中心地だった。
称名寺の長い門前道を歩きながら、歴史の流れの不思議さを、感じざるを得なかった。
0 件のコメント:
コメントを投稿