2012年5月22日火曜日

シャルロット・ペリアンと日本


目黒美術館で開催された、『シャルロット・ペリアンと日本』を見た。

ペリアンは、ル・コルビジェの元で、インテリアのデザインをしていた。同じくコルビジェの元にいた板倉準三の誘いで、1940年、第2次世界大戦中の日本を訪れた。

日本を訪れる前から、岡倉天心の『茶の本』などで、日本に興味を持っていたが、実際に訪れると、その文化に深い興味を持ち、自らのデザインにも、その要素を取り入れた。

展覧会には、ペリアンの作品はもとより、日本を訪れた際の手記やノートなどの資料、日本の役所の彼女の受け入れのための公文書、ペリアンを紹介した当時の新聞や雑誌など、実に多面的な展示品が並んでいた。

それにしても、戦時中に日本の敵国だった連合国のフランスから日本を訪れ、およそ2年ものあいだ日本に滞在し、日本の各地を訪れていた、ということに、素直に驚きを感じた。

建築家との交流はもとより、民藝活動の柳宗悦らとも交流し、柳にも大きな影響を与えたようだ。

勿論、戦後も、彼女がなくなるまで、日本との関係は続いた。ペリアンは、パリの日本大使館、日本におけるエア・フランスのオフィスの設計を担当した。そのシンプルなデザインには、確かに”和”を強く感じる。

会場には、ペリアンが来日中に企画し、1941年に高島屋で開催された「選択 伝統 創造」展が、再現されていた。その展覧会では、ペリアンが日本滞在中に発見した日本の工芸品や、それらに影響されたペリアンのインテリアなどが紹介された。

今まで、寡聞にもその存在を全く知らなかった。しかし、今後、シャルロット・ペリアンの名前を、私は決して忘れることはないであろう。

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