美術・芸術関連の展覧会に行った時の感想をアップします。もし興味があったら、ご覧ください。My comments to the art exhibitions in Japan.
2012年5月4日金曜日
大名の暮らしを窺う〜毛利家の至宝展より
サントリー美術館で開催された『毛利家の至宝 大名文化の精粋』展を見た。
サントリー美術館のある、いわゆる東京ミッドタウンは、三島由紀夫が割腹自殺を遂げた自衛隊跡地として有名だが、江戸時代は、毛利家の屋敷跡だった。
サントリー美術館の移転5周年を記念したこの展覧会は、そのゆかりの毛利博物館の、毛利家ゆかりのお宝が、多数展示されていた。
この展覧会の目玉は、雪舟の「四季山水図(山水長巻)」。16メートルにわたる長い長い作品が、すべて展示されていた。雪舟の最高傑作の1つとされるこの作品を、端からじっくりと眺められるのは、まさに至福の時間だった。
この作品は、もともと、雪舟を庇護していた大内家のものだったが、毛利氏が大内氏を滅ぼし、その後、手に入れたもの。中国地方の権力の移り変わりをも反映した作品となっている。
毛利家は、戦国時代から、幕末に渡るまで、およそ300年間にわたり続いていたというだけあり、歴史上重要な資料も多く残っている。
秀吉が、死の間際に、徳川家康、前田利家ら当時の五大老に、幼い秀頼を助けるように懇願した有名な自筆の書状。五大老の一人、毛利輝元に送られたものが展示されていた。時代を作った権力者の悲痛な願いは、ついに果たされず、秀頼は、その五大老の一人、徳川家康によって、大阪城の戦火の中で露と消えた。
毛利家といえば、三本の矢の教訓で有名だが、その話の元になった、毛利元就が3人の息子に宛てた書状も展示されていた。
毛利家の殿様は、代々、絵画や和歌に通じていた。毛利家の初代元就の子、2代目の隆元の2つの水墨画が展示されていた。その卓越した筆さばきは、趣味のレベルを超えている。
現存する、最も古い、「古今和歌集」の写本、高野切。全20巻のうち、現存するのはわずか3巻。そのうちの1巻、第8巻が毛利家に伝わっている。源兼行が書いたといわれるが、そのやわらかいひらがなには、ただただ、見とれてしまう。
その他にも、俵屋宗達、狩野探幽、狩野芳崖、円山応挙、頼山陽など、錚々たる作家の作品をはじめ、茶器、着物など、が展示されていた。
これぞ、大名文化、という印象の展覧会であった。
毛利家は、幕末の倒幕活動で中心的な役割を果たし、明治政府においても、伊藤博文をはじめ、数多くの政治家や閣僚を輩出した。その意味では、歴史の勝者だった。だからこそ、これだけの名品が今も残っているのだろう。歴史の敗者は、そうした宝を失わざるを得なかったのだろう。
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