2013年2月17日日曜日

日本の美の源流を尋ねて〜琳派から日本画へ(山種美術館)


東京、広尾の山種美術館で、琳派から日本画へ —和歌のこころ・絵のこころ— という名前の展覧会が開かれた。

会場に入り口に、俵屋宗達の絵、本阿弥光悦の書による、鹿下絵新古今和歌集和歌巻断簡、が飾られていた。

下絵の中央に、宗達の絵による、鹿が佇んでいる。その左右に、光悦の筆によって、西行の和歌が書かれている。

琳派は、この二人によって始まった。それは、平安時代に盛んに書かれた、美しい色紙の上に、和歌を書く、という形式を、新しい形で再現することから始まった。

続く展示品は、そうした平安時代の美しい書の数々。

たった一人で、5,000巻を越える一切経を書ききった藤原定信による貫之集や和漢朗詠集、その父の藤原実光による古今集、定信の子の藤原伊行による和漢朗詠集など。

美しい和紙の上に、美しい文字が並んでいる。悲しいことに、同じ言葉を使っているはずなのに、その文字が読めない。隣に並べられている、楷書による和歌をみないと、そこに書かれているものがわからない。

しかし、その文字は、造形的にも、見ていて美しい。

戦国時代に連歌師として、織田信長、豊臣秀吉、細川幽斎などと交流も持った里村紹巴が書いたという、連歌懐紙。

こちらも美しい下絵の上に、紹巴のダイナミックな筆使いの漢字や、繊細な筆使いのひらがなが並んでいる。

琳派の絵師たちは、絵の題材として、平安時代に生まれた物語からの場面をよく取り上げた。

俵屋宗達による、源氏物語 関屋・澪標。酒井抱一による、伊勢物語からの宇津の山図など。

そして、近代の日本画の画家たちも、そうした琳派の伝統を引き継いでいった。

横山大観の竹。何本かの竹が、絵の中で重なりあっている。大観は、墨の濃淡で、その重なり具合、遠近感を表現する。

竹の葉は、一筆で、まるで、文字を書くようなタッチで描かれている。下絵の上に、文字を重ねる伝統を、まったく新しい視点で捉え直していて、とにかく、美しく、素晴らしい。

速水御舟の紅梅・白梅。左側の白梅は、細い枝が、左中央付近から、右上にまっすぐ伸びている。よく目を近づけると、細い筆で、一本線で、まるで文字のように描かれている。

そうした作品の中では、文字と絵が一体となっている。画家の筆から描かれるものは、文字でもなく、絵でもなく、単なる、”美しいもの”、にすぎない。

日本の美の源流に、たどり着いたような、そんな気持ちで会場を後にした。

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