2013年2月16日土曜日

伝説とコピー〜書聖 王羲之展(東京国立博物館)


上野の東京国立博物館で、書聖 王羲之展が開催された。

それにしても、不思議な展覧会だ。王羲之、Wang Xizhiの名前を冠しながら、その本人の書いた、いわゆる真筆は、1点も展示されていない。

レオナルド・ダ・ヴィンチやラファエロの名前が冠される展覧会でも、最低でも、デッサンなども含め、最低1点は何らかの作品が展示されるのが通例だ。でないと、”金を返せ”ということになりかねない。

しかし、こと王羲之に関しては、そんな文句を言う人間はいない。なにしろ、現在、王羲之の真筆を展示できる美術館は、世界中を探しても、どこにも存在しないからだ。

書聖といわれる王羲之の、最高傑作と言われているのが、蘭亭序。本人も、この書が一番良く書けた書であると、認めていたという。

この展覧会では、会場の一角をすべてこの蘭亭序にあてていた。

東晋の永和9年(353)3月のある日。紹興酒で有名な紹興の蘭亭というところで、王羲之が主宰する酒宴が開かれた。そこで、詠まれた数々の詩が詩集として編まれ、王羲之がその序を書いた。それが蘭亭序だ。

唐の大宗皇帝は、王羲之を愛し、とりわけこの蘭亭序を愛した。その愛は度を超しており、ついに、遺言で、自分の死後、自らの墓に、その真筆を収めることを命じた。

王羲之は確かに優れた書を書いたが、この唐の大宗皇帝の偏愛によって、王羲之は一流の書家から、伝説になった。皇帝の権威が、王羲之を特別な存在にした。

その後、長い歴史の過程で、王羲之の真筆はすべて失われ、そのコピーだけが今日に伝わっている。勿論、この展覧会でも、展示されているのは、すべてコピーだ。

20点以上の蘭亭序のコピーが展示されている。その様子は、別な意味で壮観だ。

文化とは、芸術とは、ある意味では、コピーする、ということなのかもしれない。生物も、遺伝子を通じて、その存在をコピーしている。

この展覧会では、王羲之のコピーとともに、王羲之に至る書の歴史を学べるように、甲骨文字や青銅器に彫られた、古代中国の文字や、石に彫られた書なども展示されていた。

王羲之の時代は、紙に文字を書くことが一般化し、それまでの文字の書き方が大きく変わった時代だった。

それまでの公だった文字の使用が、知人への手紙などの個人的な用途に使われるようになった時代だった。

そうした王羲之の手紙や書簡には、神話や歴史上の出来事ではなく、王羲之の知人への細かい配慮、先祖の墓を荒らした蛮族への怒り、自分の何気ない日常、などが書かれている。

折しも、中国と日本の間には、尖閣諸島問題などの政治的な問題がホットな時期であり、この展覧会に展示される予定だった、展覧会の目玉となるいくつかの名品も、出展されなかった。

一部のアメリカ、香港から出品された作品を除き、ほとんどは国内の美術館や博物館からの出品だった。それでも、王羲之の展覧会としては、その伝説に相応わしい、内容だった。

このことは、いかに、この国の人間が、伝説となった、この書聖のコピーを尊んできたのかを、表していている。

そして、会場には、日本人よりも、むしろ、中国語を話している人の方が、多かったようにも思えた。

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