2012年10月7日日曜日

御伽草子の絵巻物に真実を見る


室町時代のころから江戸時代にかけて作り出された、『御伽草子』に関する展覧会が、サントリー美術館で開催された。

『御伽草子』は、小さな物語の集まりで、300編ほど作成され、そのうち今日まで残っているのは、100編ほど、といわれている。

なかでも『一寸法師』『浦島太郎』などは、現代でもよく知られている。

『御伽草子』には、絵と文章で構成されているのが普通で、会場には、南北朝時代から江戸時代にかけての、様々な『御伽草子』が展示されていた。

絵巻物は、左から右に、物語の中のところどころの場面が描かれる。それは、まさしく現代のアニメに相当する。今日、世界的に知られたアニメ大国ジャパンには、そうした歴史的な蓄積があったのだ。

源頼光が、鬼である酒呑童子を退治する『酒呑童子』。クライマックスの酒呑童子が退治されるシーン。切られた首が、宙を飛び、頼光の頭にかみつくシーン。そのグロテスクなイメージは、その後、何度も何度も、同じ構図で描かれることになった。

そうした絵巻物は、江戸時代は安価な出版物となり、庶民も楽しんだが、室町時代は、まだ天皇や貴族が楽しむものだった。実に素朴な、素人絵師の手によるような作品もあれば、土佐派の本格的な絵師によるものもある。

南北朝時代の、北朝側の後光厳天皇が描いたと伝わる、『善教房絵巻』。善教房という坊主が、念仏による成仏をいろいろな人に説くが、いつも説得に失敗する、という話。善教房が、いわばトリックスターのように描かれている。

室町時代に描かれた『しぐれ絵巻』。清水寺を舞台にした悲恋物語だが、この絵に描かれた人物の眼の表現が凄い。日本人には珍しい、切れ長の眼で、眼の玉も真ん丸に描かれる。現代の少女マンガの登場人物達のようなその眼の表現に、文字通り、眼が釘付けになった。

『鳥獣戯画』以来の伝統的な、動物が人間と同じ格好をして登場する絵巻の数々。ネズミ、サル、スズメなど、身近な愛らしい動物達を主人公にした物語も『御伽草子』には多い。

捨てられた小道具が、その恨みから化物となり、人々に襲いかかるという『付喪神絵巻』。小道具に、眼や鼻が描かれている様子は、実にユーモラス。長年使い込んだ道具に、心があると考える発想の豊かさは、現代人に何事かを問いかけている。

室町時代の『百鬼夜行絵巻』。江戸時代にも何度もコピーされた、その化物たちのイメージは、一度見たら忘れない、強烈な印象を心に残す。戦乱に明け暮れる、室町時代の京都の夜に、夜ごと現れるという百鬼夜行。何もない闇の中に、当時の人々は、百鬼夜行の姿を見ていたのだろう。

『御伽草子』に描かれた物語の一つ一つは、たわいない作り話のように思えるが、実はそこには、歴史書には決して語られない、もうひとつ別の真実が語られているように思えた。

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