2012年10月10日水曜日

日本の70年代展にて自らの思い出と出会う


埼玉県立近代美術館で開催された、日本の70年代 1968−1982年展、を見てきた。

ふつう、展覧会を見る時は、第三者的な視点で、展示物を見るが、今回は、テーマが、自分の幼い頃に重なる、ということもあり、会場を回りながら、あちこちで、自分の思い出とも出会いながらの、不思議な感覚での、展覧会となった。

展示物の多くが、次の3人の作品で占めらていた。粟津潔、横尾忠則、そして赤瀬川原平の3人。日本の70年代は、この3人の時代でもあった。

個人的には、ピンク色や黄色といった原色を使った、平坦な、横尾忠則のポスターが、強烈な印象として、記憶に刻まれている。

1968年は、世界的な学生運動の年ということで、納得がいくが、1982年という年は、開催者の恣意的な意図を感じた。この1982年は、この埼玉県立近代美術館が開館した年だった。

展示会場の最後のスペースに、やや謙遜気味に、そのスケッチや設計図などが展示されていた。設計者は、この時代、メタボリズムで一世を風靡した黒川紀章。

黒川紀章に関しては、そのメタボリズム建築の代表的な作品ともいえる、中銀カプセルタワービルの設計図や模型なども展示されていた。

昔、友人がそこに住んでいたことがあり、このビルを訪れたことがある。まるで宇宙船のような室内に、未来的な雰囲気を感じたが、ハッキリ言って、住み良い場所とは、思えなかった記憶がある。

アンアン、ブルータス、ぴあなど、未だに続いている、個性的な雑誌も、70年代に創刊された。

会場には、年を重ねた人や、子供や学生まで、実に幅広い年団の人々が、それぞれの思いを胸に、展示品に見入っていた。

おそらく、展示品の1つ1つは、それだけでは、単なる個人の思い出の品にすぎない。しかし、それが、こうして1つのテーマの元に集められると、多くの人の関心を集める、興味深い展覧会が企画できる。

この展覧会は、まさに、企画の勝利であった。

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