2012年11月4日日曜日

現代芸術作品との夢のような対話の時間〜世田谷美術館収蔵作品展より


自宅から、歩いて30分ほどのところにある、世田谷美術館。自分にとっては、まさに、最も身近な美術館だ。

その世田谷美術館が、1年に及ぶ改修期間を経て、最近、再開され、『対話する時間』と題し、美術館コレクションの中から、1970年代以降の作品を中心に、およそ130作品が展示された。

作品は、自然との対話、日常/非日常との対話、旅での出会い、ものとの対話、歴史との対話、物語、神秘、冥界とパラダイス、とそれぞれ名付けられたコーナーに別れ、展示されていた。

それぞれのコーナーの最初には、当美術館の重要なコレクションの1つである、駒井哲郎による、鳥に関する版画が置かれていた。駒井の描いた鳥が、来場者と現代アート作品の対話を導く、という構成になっていた。

アンディ・ゴールズワージーの葉っぱを使った、奇妙な作品。一部、葉脈を露出させ、それが、不思議な世界を作り出している。かつて、この美術館で開催された、衝撃的なゴールズワージーの展覧会を思い出した。

荒木経惟の「歌曲」。美しい花を接写した6枚の写真。荒木にとっては、女性も花も、同じ被写体としてしか、見えていなかったようだ。

リチャード・ロングは、自分が旅で訪れた地の泥を使って、まさに旅の思い出として、作品を作り上げる。

ロジャー・アックリングも、アイルランドを訪れた際に、何気なく拾った小さな木片から、文字通り、「アイルランド」という作品を仕上げている。

エル・アナツイの「あてどなき宿命の旅路」。木片を繋ぎあわせ、旅路を歩いているかのように、並べた作品。以前、別な美術館で開催されたアツナイの展覧会で展示されていた作品。私にとって、この作品と再び出会うことは、ある意味で、宿命だったのかもしれない。

コーナー展示として、北大路魯山人の器や屏風絵などが展示されていた。大きな陶器で、外側には、紅葉した紅葉が秋を表し、内側には、桜が描かれている。一癖も二癖もあるモダンアート作品の中で、和を感じさせるその美意識は、異彩を放っていた。

アンゼルム・キーファーの「東から北へ向かう波」。ドイツ人のキーファーが、ベルリンの壁崩壊以前に作成した作品。布で作られた波ようなの、かすかな盛り上がりを表した写真を、灰色のキャンバスの絵画に貼付けたその作品は、この展覧会の作品の中でも、最も強い印象を私の心に中に残した。

子供の頃から、ジュール・ベルヌの作品のファンだったという横尾忠則が、彼に捧げたオマージュのような「ジュール・ベルヌの海」。海という名前とは裏腹に、画面は真っ赤な色で彩られているのが、横尾の作品らしい。

ジュヌヴィエーヴ・カデューの「天一体」。やや曇りがかった空の写真と、人の肌の拡大写真を1つのキャンバスに並べた作品。まさしく、マクロコスモスとミクロコスモスの対比。この世の世界の神秘を見事に表現している。

そして、会場の最後には、それにふさわしい、素晴らしい作品が来場者を待っていた。

メアリー・カズンズ=ウォーカーの「ワスレナグサ/デイジーの原っぱ」。刺繍で立体的に作られた男と女が、原っぱに横たわっている。その原っぱには、男の方にはワスレナグサが、女の方にはデイジーが咲き誇っている。

二人は、別々の箱の上にいるのだが、まるで、死体の周りから植物が生えてきているようにも見える。『古事記』に登場する、トヨウケヒメの死体から五穀が生まれた、というエピソードを思い出した。

そうして、私と現代アート作品との、夢のような、それでいて、つかの間の対話の時間は、終わりを迎えた。

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