2012年11月17日土曜日

奇跡を目にした幸福をかみしめる〜日本民藝館における沖縄の紅型展より


日本民藝館で、開催された、琉球の紅型、展を見に行った。ふだんは、作品の保護のために展示されていない貴重な紅型コレクションが、沖縄復帰40周年を記念して、特別に公開されていた。

かつて、沖縄の紅型を、初めて目にした時の衝撃を、言葉で表現することは、至難の業だ。同じ衝撃を味わったことがある人は、この言葉に、同意していただけると思う。

民藝運動の主導者で、この日本民藝館を創設した柳宗悦は、紅型も含めた沖縄の織物について、かろうじて、次のように表現している。

(織物において)”沖縄に匹敵し得る地方は、日本の何処にもありません。”

その唯一無二の沖縄の紅型が、日本民藝館の大展示室に鮮やかに並べられている光景は、まさに圧巻だった。

紅型を前にして、まず眼に飛び込んでくるのは、その色だ。黄色、赤、ピンク、青など、日本の他の地方では、あまり目にすることのない原色が、とにかくまず私の眼を奪う。

そうした鮮やかな色合いは、マレー地方やシンガポールでよく目にする、華僑のプラナカン文化の器や着物を連想させる。

そして、次に、そこに表現されている様々な文様に眼がいく。日本人には馴染みの鶴や亀、菖蒲や松、といったものもあれば、竜などの中国風なものもあり、沖縄の風景を表現したものある。

そうした紅型を見ていると、これは、中国や日本の文化とは、明らかに異なっている文化の産物であるということがよくわかる。

かつて沖縄は、中国や日本のみならず、東南アジアの国々と交易を行っていた、独立した王国だった。色鮮やかな、他に類を見ない、紅型の数々は、明確に、そのことを証明している。

しかし、太平洋戦争による沖縄戦は、およそ10万人にも上る沖縄の民間人の死者とともに、紅型を始めとする貴重な沖縄の文物を破壊してしまった。

今日残っている紅型の多くは、戦前に本土に持ち込まれ、保管されてきたものだ。中でも、柳宗悦が持ち帰った日本民藝館のコレクションは、その存在自体が奇跡、とも言われる貴重なもの。

今、このブログを書きながら、そうした奇跡を目の当りにできた幸福を、今さらながに、一人かみしめている。

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