2012年11月18日日曜日

この国は文字の王国だ〜五島美術館名品展から


2010年秋から、およそ2年の期間をかけて改修のため閉館していた五島美術館が、この秋に再開された。

その再開に合わせて、4回にかけて、その主要な所蔵品を紹介する、”時代の美”と題された特別展が開催される。その1回目は、奈良・平安編。

その第1回目の目玉は、何と行っても、この美術館を代表する所蔵品、平安時代後期、12世紀に作成され、日本で一番古いといわれる絵巻、「源氏物語絵巻」。

この作品は、開催中の後期に展示された。前期に訪れた際は、人影もまばらで、ゆっくりと鑑賞できたが、後期はさすがに凄い人出。「源氏物語絵巻」の前には、長い行列が出来ていた。

当館の所蔵する、鈴虫一、鈴虫二、夕霧、御法の4つの全てが展示されていた。

およそ千年前に描かれた絵巻物を目にすると、よくぞ今日まで、失われずに残されてきたなあ、と思わざるを得なかった。この物語に対する、この国の人々の、深い思い入れや愛情を、改めて感じさせられた。

中でも、夕霧の巻の絵画は、光源氏が、自分の正妻、女三宮と、自分の息子の友人、夕霧との不倫の証拠となるラブレターを見つける、という決定的な場面。女三宮は、慌ててその手紙を奪おうとするが、すでに光源氏はその内容をまさに読んでしまったところ。

今日の、テレビのホームドラマにもよく登場するようなシーン。人間の本質は、千年たっても全く変わっていない。

”引目鉤鼻”といわれるその人物表現は、人物の顔立ちで、その人物を区別するのではなく、その人物の洋服や、行動でその人物を区別する。この「源氏物語絵巻」はその典型。物語を知っている人物が見れば、どう見ても同じようにしか見えないそれらの人物を、きちんと特定できてしまう。

そうした絵もさることながら、詞書もすばらしい。文字通り、遠目には、みみずがはっているようにしかみえない、そのやわらかい漢字まじりの仮名の表現。残念ながら、今日の私たちの多くには、一部を除いては、その文字さえ判別できない。単に、その造形的な美しさを感じることしかできないのが、悲しい。

それ以外の展示品では、全般的に、文字に関する展示品が多かった。

長屋王、光明皇后といった天皇家の人々が、願いを込めて収めさせた膨大な写経。すべて、8世紀のもの。当時の、仏僧達が、一字一字、丁寧な表現で、仏典を写している。

文字の価値が薄れつつある現代人には、単なる漢字の羅列だが、当時これを書かせた人にとっても、書いた人にとっても、仏典の言葉の一つ一つには、大きな力が宿っていた。

この国の人々は、もともと文字をもたなかった。言葉は、口から口に伝えられるものとされ、それを文字にするという考えはなかった。

中国から文字というものが伝わり、その文字に、自分たちがそれまで使っていた言葉を当てはめていったが、やはり、どこかしっくりしないものを感じたのだろう。中国の漢字をもとに、当時の人々は、この国特有の文字を作り出した。

角張った漢字に比べ、その”仮名”といわれる文字は、筆で描くと、続けて書くことができ、その筆跡の美しさを、やがて競うようになっていった。

展示会場には、その名手達、紀貫之、藤原行成、藤原公任、小野道風、藤原俊成、藤原定家などの、美しい、ひらがなの古筆が展示されていた。

漢字、ひらがな、そうした文字を、この国の人々は、中国の影響を受けながら、自分たちの独自性を加味しながら、書き、それを鑑賞してきたのだ。

その意味では、この国は、文字の王国、とでも言うことができる。

五島美術館の再開記念の収蔵品点は、全4回。来年の3月まで続けられる。しばらくは、上野毛の静かな住宅街に佇む、この小さな美術館に詣でる習慣が続きそうだ。

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