出光美術館で開催されていた、古筆手鑑 国宝『見努世友』と『藻塩草』展を見た。
古筆手鏡とは、昔の時代の人々の書いたものを、1ページほどの大きさに切り取り、それを台紙に貼付けて、書の見本としたもの。
この展覧会では、おもに平安時代から鎌倉時代までの古筆を集め、江戸時代に作成された、国宝の『見努世友』と『藻塩草』と、その他の古筆手鑑が展示されていた。
江戸時代。江戸や大阪に商人を中心とした庶民階級が誕生した。彼らは、平安時代の貴族の暮らしに憧れ、彼らの書いた作品に対する重要が高まった。その需要に応えたのが、古筆手鑑だった。
過去の貴重な作品を切り刻み、なるべく多くの古筆手鑑を作ろうとしたのだが、需要はそれ以上に多かった。そこで、一部は本物を使い、残りは、別人の作品を、本物と偽って使うことがほとんどだった。
展示されていた『見努世友』と『藻塩草』にも、”伝紀貫之”や”伝西行”などの説明書きが見られる。この”伝”は本人でないことを意味する。
勿論、それは後世の研究で明らかになったもので、古筆手鑑が作られた江戸時代は、それを本物として売り出していたのだろう。
しかし、購入した人にとっては、本物かどうかは、本当はたいした問題ではないのかもしれない。偽物の西行の筆跡をみながら、西行に思いを馳せ、時にその気分になって書を書いたり、歌を詠んだりする。その行為自体が、実に贅沢なことなのだ。
本物であるかどうかは別として、人が直接書いたものと、印刷されたものを読むことは、もしかしたら、決定的に違う行為なのかもしれない。
現代の私たちは、源氏物語にしても、徒然草にしても、基本的には印刷された活字で作品を味わう。それを、本人もしくは写本にしても、手で書かれたものを読む場合とでは、
読者の中で生まれてくるものは、かなり違うものなのではないか。
その意味で、私たちは、日本の古典作品を、本当の意味では、味わうことはできないのかもしれない。
出光美術館のホームページ
美術・芸術関連の展覧会に行った時の感想をアップします。もし興味があったら、ご覧ください。My comments to the art exhibitions in Japan.
2012年3月11日日曜日
2012年3月4日日曜日
ジャクソン・ポロックのリズムに乗って Taking on the rhythm by Jackson Pollock
東京国立近代美術館で開催されていた、生誕100年ージャクソン・ポロック展を見た。
ポロックの初期の作品から、最晩年にいたる作品まで、ポロックの生涯にわたる作品を鑑賞できる貴重な体験だった。
現在は、イランのテヘラン現代美術館が保有している『インディアンレッドの地の壁画』は、縦1.8メートル、横2.5メートルの大作。大きな部屋に、その作品だけが置かれていた。そうした展示場の演出の効果もあったが、とにかく、部屋に入ったときから、その絵に引き込まれた。
俗にアクション・ペインティング、ポラック自身はポーリングと呼んでいた、そのあまりに有名な手法。床にカンバスを置き、絵の具をカンバスにたらし込んで(ポーリングして)いく。
ポロック自身は、ポーリングによって描かれる線は、決して偶然ではなく、作者による意図があると言っている。しかし、その一方で、作成している時、自分は何も考えていない、とも言っている。
ポーリングされていく絵の具を制御できるのは、作者ではなく重力だけだろう。それが絵画に独特のエネルギーを与える。それは、紛れもなくポロックの作品だが、人間の意図を離れた偶然性を多分に含んでいる。
そのポーリングの線が複雑に絡み合っている。いくら見つめていても、その度に新たな線を発見できる。その絵画の複雑性が、絵画に独特のリズムを与えている。絵画が、まるで自然の音楽の楽譜のように見えてくる。それが、ポロックのリズムだ。
ポロックは、生涯にわたってピカソをひとつの目標にしていた。また、インディアンの芸術や、メキシコのオロスコの作品にも影響を受けていた。そうした影響が、彼の絵画に、野性を感じることの原因かもしれない。
会場には、ポロックのアトリエを再現したコーナーがあった。
展示されていた絵の具やペンは、ポロック自身が実際に使っていたものということだった。
東京国立近代美術館の展覧会の特設ページ
2012年3月3日土曜日
ルドンが幻想の中に見たもの What Redon saw in his fantasy
東京の三菱一号館美術館で開催されていた、ルドンとその周辺−夢見る世紀末、という展覧会を見た。
ルドンは、私が最も好きな画家の一人。リトグラフ、パステル画、油彩画。風景画、人物画・・・とにかく、ルドンの幻想的な世界を満喫できた。
若い頃の作品には、木を描いた作品が多いが、それは、ルドンは晩年のカミーユ・コローから直接受けたアドバイスの影響によるのだという。
石盤画集『夢の中で』に描かれている、ルドンの作品を代表する、幻想的なリトグラフの数々。人の顔が気球になって空を飛んでいたりする。ルドンが、幻想的なイメージとは別に、気球など、当時の最先端の技術にも高い興味を持っていた。
『瞳をとじて』のリトグラフ。オルセー美術館にある油彩画と同じ構図。一人の髪の長い人物の頭部が描かれている。その人物は、静かに瞳を閉じている。他には何も描かれていない。
この人物は、瞳をとじて、その頭の中でどんなことを考えているのか、どんな風景を見ているのだろうか。ルドンの魔術にかけられた私たちは、この絵から、様々なことを想像させられる。
会場の最後に置かれた『グラン・ブーケ』。縦2メートル50センチの大作。ルドンが描く花は、単なる表面的な花ではない。花の持っている怪しく退廃的なエネルギーと、それが周りの空間に及ぼす影響。それらが、ルドンの絵の中で、微妙な陰翳で、表現されている。
ルドンが生き、活躍した時代は、ちょうどそっくり、印象派の時代と重なる。華やかなイメージの印象派と、ルドンに代表される幻想的で象徴的な絵画。19世紀のパリは、さまざまな芸術が花開いた、まさに芸術の都だった。
中でも、モーリス・ドニの『なでしこを持つ若い女』が印象に残っている。淡く、やや暗めのパステルカラーで描かれたその絵の中で、白いなでしこの花を持った女性が、こちらを振り向いていた。
グラン・ブーケの作品を除くと、すべての展示品は、岐阜県美術館の収蔵作品ということだった。寡聞にも、この美術館のことはこれまで知らなかった。改めて、日本には多くの優れた美術館があることを知った。
三菱一号館美術館の展覧会特設サイト
2012年2月26日日曜日
絵画の本質を描いた難波田史男
東京オペラシティーアートギャラリーで開催されていた、難波田史男の15年、展を見た。
難波田の作品を、これほど多く一度に目にしたのは初めてだった。彼の絵を見て、改めて、絵画とは何か、絵画において、線、形、色とは、何なのか、ということを考えさせられた。
難波田は、既成の美術教育ではなく、全く独自に絵画を身につけた。その意味で、いわゆるアウトサイダーアーティストとして紹介される。しかし、この展覧会を見た限りでは、難波田はむしろ、絵画芸術の本道をあるいていたように思えた。
インクで書かれた細かい線。輪郭線に捕われず、その存在を主張するかのように自由に置かれる色彩。
難波田は、クレー、ミロ、カンディンスキーらの影響を受けているようにみえる。クレーは、「存在しない物を、あたかも、存在するように描く」というテーゼを主張したが、難波田の絵は、まさにその通りの作品だ。
難波田の作品は水彩画で描かれているものが多い。普段、油絵を見慣れているせいか、水彩画の色の柔らかさは新鮮だった。また、水彩画独特のぼかしを非常に効果的に使っている。
また、彼の作品は”無題”が多いのも特徴だ。全ては、絵の中に描かれている、絵に題名など必要ない、とでも主張しているかのようだ。
『太陽を紡ぐ少女』という作品が印象的だった。一人の少女が、手を大きく広げている。少女は、その指先で、太陽からの光を紡いでいる。
難波田は、32才の時、瀬戸内海のフェリーから転落して亡くなったが、幼い頃から”水”を、生と死の象徴と捉えていたようだ。後期の作品には、海や水を描いた作品が多い。
その15年という短い活動期間の中で、2,000を越える作品を残した難波田史男。この展覧会では、そのうちから、わずか240点が展示されただけだった。
私たちは、未だ、難波田史男という画家の全貌を知らない。
東京オペラシティーアートギャラリーの展覧会のホームページ
2012年2月18日土曜日
日本画家が女性画の中に描いたもの What Japanese artists draw in their works?
山種美術館で開催されていた、『和のよそおいー松園・清方・深水』を見た。
上村松園、鏑木清方、伊東深水、鈴木春信、奥村土牛、その他の代表的な日本画家による、女性を描いた作品が、展示されていた。
それらの絵を見ると、日本画家は、日本の女性を描いているようで、実は、何か別の物を描いてきたのではないか。
絵の中の女性の多くは、着物を着ている。女性自身はと言えば、顔と、着物の袖から伸びている手先だけを描いている。つまり、女性を描いているようで、実は、ほとんど着物を描いているといっていい。
着物には、草花の文様がついており、画家は、自然とそうした着物を丹念に描くことになる。一方、女の命と言われる女性の顔は、シワを描かないように、目と鼻だけを、わずか一本の線だけで描くことになる。その労力はわずかだ。
背景に、桜などの草花を描く場合は、花びらの一つ一つまで、画家は書き込んでいく。
日本の画家は、日本の女性を描く際は、女性自身の体を細かく描くことなく、その着ている着物や、しぐさ、その背景などによって、女性を、というより、個々の女性ではなく、女性という存在が持っている普遍的なもの、ゲーテの言うところの”永遠なる女性的なもの”を描いてきたのだ。
山種美術館のホームページ
Shoen Uemura, Kiyokata Kaburagi, Shinsui Ito, Togyu Okumura and Harunobu Suzuki. They are well known Japanese painters as their woman's paintings .
I guess they didn't draw woman itself but also the essential of woman.
The women which the painters draw wear Kimono. Kimono covers almost body of the woman usually. It means the painters draw Kimono almost, not the body of the woman.
The painters painted the woman's face and hands only by simple lines. The woman has no wrinkles in their face and body. Actual work load is very less.
But they spent much time to draw Kimono with the complex pattern. It is interesting enough.
2012年2月15日水曜日
棟方志功 技術に裏打ちされたパワー Shiko Munakata, His powerful art works based on his matured technic
棟方志功は、間違いなく、日本を代表するアーティストだ。
ゴッホを尊敬していたというだけあって、彼の油彩画は、まるでゴッホの絵のように、絵の具が盛り上がるようなタッチで描かれている。それは、見方を変えると、彫刻のようにも見える。
板に天使が流れるような曲線で描かれている。まるで、天使が文字通り天を待っているように見える。
棟方の作品は、日本人にしか理解できないのではないか、と思える部分があるが、海外で高く評価され、多くの賞を受賞している。
釈迦十大弟子図。弟子、一人一人の個性を、棟方の個性的な彫りで表現している。指の節まで細かく表現されている。衣の折れ具合までも、簡潔に表現されている。
棟方の作品は、とにかくそのパワーに圧倒される。確かな技術に裏打ちされているが、それを感じさせず、誰でも、”自分にも作れるのではないか”と思わせてしまう。
しかし、彼の境地までたどり着くことは、そう簡単にできることではない。
Shiko Munakata is definitely one of greatest artist in Japan.
He respected Gogh so much. His paintings are similar to Gogh well.
I guess only Japanese can make sense his greatness but my guess is not correct. He won various awards in outside of Japan like Biennnale di Venezia.
We think we can also make our art works like Munakata but we will know it is not true when we actually try to create it. We know how he is great at that time.
2012年2月12日日曜日
松井冬子の絵に、世界の不思議さを感じる
横浜美術館で開催されていた、松井冬子展を見た。
松井は、その技法を見る限りは、まぎれもなく、日本画家である。展示されていた、植物を描いた作品のための習作を見ると、琳派の作品を見ているようであった。
しかし、そこに描かれる題材は、伝統的な日本画家で描かれてきたテーマとは、いささか異なる。
美し女性が、画面いっぱいに横たわっており、パックリと割れた腹から、内蔵が飛び出している。
すべての絵画がそうした内容ばかりではないが、見る物をはっとさせる絵が多い。当然のことながら、こうした絵は、マスコミでは話題性を持って取り上げられる。この展覧会の会場にも、若い女性の姿が多かった。
しかし、私は、松井の絵から、そうした印象とは違い、なぜか、この世界の不思議さを、感じさせられた。
表面的な美しさの裏側で、それを支える繊細にして精巧なメカニズム。普段は隠されているが、それが露になることで、私たちは、この世界の不思議さ、奥深さを感じる。そのメカニズムは、人間の世界だけではなく、この世界のどこでも、絶えることなく動き続け、この世界全体を支えている。
松井のセンセーショナルな絵画は、この世界の不思議さを、私たちに教えてくれる。
自画像。松井の黒い髪は、なぜか、真っ白に描かれている。それは、髪というより、白いベールを被っているようにも見える。また、その眼は、見る物の視線を避けるように、あるいは、わざと挑発するかのように、向かって左手を見つめている。
展覧会のサブタイトルにも使われている、<世界中の子と友達になれる>。画面の右側に揺りかごが、左側に、右手を向いている女性が描かれているが、習作を見ると、当初はこの配置を逆にしていたようだ。
確かに、その方が自然な構図だが、敢えてそれを逆にしたことで、この絵が不思議なポリフォニーを奏でるようになった。絵画が両端で繋がっているようにも見えるし、女性が揺りかごから出てきたようにも見える。
この画家はまだ若い。これからも、この世界の不思議さを私たちに見せてほしい。
横浜美術館の松井冬子展のホームページ
Fuyuko Matsui is one of most popular Japanese artists. She is young but such a big exhibition has conducted at Yokohama Museum.
Her way of painting is traditional Japanese style but her theme is slightly different from them. She draws naked girls with exposed viscera, rotten woman bodies and more grotesque paintings.
She shows us the mystery of our world by such a grotesque works. She exposed the hidden things in our bodies and another animals.
Her self-portrait, her eyes doesn't come to us directly. She sees left in her work. She is not shy. She just seems to provoke us.
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