出光美術館で開催されていた、古筆手鑑 国宝『見努世友』と『藻塩草』展を見た。
古筆手鏡とは、昔の時代の人々の書いたものを、1ページほどの大きさに切り取り、それを台紙に貼付けて、書の見本としたもの。
この展覧会では、おもに平安時代から鎌倉時代までの古筆を集め、江戸時代に作成された、国宝の『見努世友』と『藻塩草』と、その他の古筆手鑑が展示されていた。
江戸時代。江戸や大阪に商人を中心とした庶民階級が誕生した。彼らは、平安時代の貴族の暮らしに憧れ、彼らの書いた作品に対する重要が高まった。その需要に応えたのが、古筆手鑑だった。
過去の貴重な作品を切り刻み、なるべく多くの古筆手鑑を作ろうとしたのだが、需要はそれ以上に多かった。そこで、一部は本物を使い、残りは、別人の作品を、本物と偽って使うことがほとんどだった。
展示されていた『見努世友』と『藻塩草』にも、”伝紀貫之”や”伝西行”などの説明書きが見られる。この”伝”は本人でないことを意味する。
勿論、それは後世の研究で明らかになったもので、古筆手鑑が作られた江戸時代は、それを本物として売り出していたのだろう。
しかし、購入した人にとっては、本物かどうかは、本当はたいした問題ではないのかもしれない。偽物の西行の筆跡をみながら、西行に思いを馳せ、時にその気分になって書を書いたり、歌を詠んだりする。その行為自体が、実に贅沢なことなのだ。
本物であるかどうかは別として、人が直接書いたものと、印刷されたものを読むことは、もしかしたら、決定的に違う行為なのかもしれない。
現代の私たちは、源氏物語にしても、徒然草にしても、基本的には印刷された活字で作品を味わう。それを、本人もしくは写本にしても、手で書かれたものを読む場合とでは、
読者の中で生まれてくるものは、かなり違うものなのではないか。
その意味で、私たちは、日本の古典作品を、本当の意味では、味わうことはできないのかもしれない。
出光美術館のホームページ
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