2012年1月15日日曜日

隠元禅師と黄檗文化の魅力 日本橋高島屋 Zen master Ingen and Obaku culture

隠元禅師は、1654年に度重なる依頼を受けて、福建省から日本を訪れ、その後、帰る予定を変更し日本に止まり、1661年に今の萬福寺を創設した。

中国は、当時、明が滅び、満州族による清が成立したばかりで、社会が大きく混乱していた。隠元禅師は、そうした時代環境を受けて、日本に止まることを決意したのだろう。

臨済宗、曹洞宗に続く、日本における第三の禅宗として黄檗宗を称し、停滞が続いていた日本の禅の世界に、大きな刺激をもたらした。

禅の世界に止まらず、煎茶、インゲン、スイカ、レンコン、タケノコなど、今の日本の食生活には当たり前の食材を日本にもたらした。

その他にも、現在の原稿用紙のスタイル、書体の明朝体、木魚の仕様など、隠元禅師の日本文化に与えた影響は、実に大きい。

会場には、隠元禅師の肖像、自身の書、萬福寺の羅漢像、水墨画を始めとした絵画や工芸品が展示されていた。

伊藤若冲は、京都の青物問屋に生まれた。おそらく、食材を通じて萬福寺と関係があったのだろう。萬福寺は、若冲の作品を何点か所有しているようで、展示も行われていた。

若冲というと、ダイナミックな色使いや構図、といったイメージが強いが、展示されていたのは、シンプルな構図の水墨画だった。若冲のある一面を楽しめた。

Ingen, a zen master come to Japan in 1654 by accepting request many times. He planned to back to China at first but finally he stayed in Japan. He built Manfuku temple at Kyoto.

Qing dynasty just replaced Ming and China society was confused so much at that time. He might decided to stay in Japan from the situation.

Ingen brought many cultural thing like foods, writing style and others to Japan. He established third Zen party in Japan and affected his way to existing zen parties.

Jyakucyu Ito, a famous painter was born in the greengrocer's family in Kyoto. Jyakucyu might communicated with Manfuku temple through his family business. Manfuku temple has some his paintings.

I saw some his works at the exhibition. They are very simple ink paintings. Jyakucyu is famous for colorful and dynamic one. I was very impressive with the simpleness.

黄檗山萬福寺のホームページ

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