日本を代表する知の巨人、梅棹忠夫の生涯と、知的生産の現場を再現した、興味深い展覧会を見た。
梅棹の生涯をたどると、世界中を駆け巡りながら、様々な学会を始めとした対外的な活動をこなし、さらに、数多くの著作を出版している。
忙しい日常の中で、どうしてあれほどの著作をものにできたのか?その秘密も、会場には展示されていた。
世界中を巡る学術調査の際に残した、写真やメモ、スケッチなどの膨大な記録。そして、様々なアイデアを、”こざね”とよばれる小さなメモ用紙に記録して、興味のある分野毎に、その他の資料とともにファイリングしていく。
その作業自体は、実に地道な作業だが、それを積み上げることで、あれだけの成果を残すことができたのだ。
また、知というものについて、その成果だけではなく、それを生み出す過程、そして、それをどのように表現するか、ということに着目した点が、梅棹が他の知の巨人たちと大きく異なる点だ。
梅棹が”展示”というものについて、単に陳列するだけではなく、総合的なコミュニケーションメディアと定義し、日本展示学会を立ち上げた、というエピソードが印象的だった。
『知的生産の技術』や『文明の生態史観』は、出版されてから40年以上を経た今日でも、増版を続けている。その理由が、この展覧会を見て、よくわかった気がする。
Tadao Umesao is a intellectual giant in Japan. The exhibition displayed his life and the way of creating his intellectual works.
He published many book in his busy life like the scientific investigation in foreign con tries and the academic activity. He used mini memo cards and filing system for his achievements.
He noted not only intellectual outcomes but also the creating process and the way of displaying. He established the Japan society for exhibition study.
His books has been sold for more than 40 years. I can make sense the reason from the exhibition.
日本科学未来館によるウメサオ タダオ展の特設ページ
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