2012年4月29日日曜日

日本画家が描いた桜を愛でる〜桜 さくら SAKURA 2012展より


山種美術館で開催されていた、『桜 さくら SAKURA 2012』展を見た。

江戸時代から現代にわたり、日本画家たちが描いた桜に関する様々な絵画を紹介する、この季節にはピッタリの内容の展覧会だった。

会場入り口で、まず、奥村土牛の『醍醐』が出迎える。京都、醍醐寺の三宝院にある桜を描いたもの。桜の花びらは、画面上方に描かれている。画面の中央には、太い桜の木が、どっしりと描かれている。

見た目に美しい花を咲かせているのは、このところどころ苔も産している、見た目には美しくない、この太い桜の木なのだ、ということを、奥村は言いたかったのかもしれない。

それは、最初から、少々浮ついた気持ちに、軽くパンチをくらったような感覚だった。

東山魁夷の『春静』。東山独特の青(緑)が画面を覆っている。右下に、満開の桜が描かれている。左上には、斜めにやや茶色が勝った曇り空が描かれている。この3つの色合い、配置が絶妙。

東山の青は、近づいて見ると、いろいろな種類の青の色を、丹念にぬり重ねている。それを、離れて見ると、木々が折り重なった緑一色の森が見えてくる。東山の巧みな技に、ただただ見とれるばかりだった。

石田武の『千鳥ヶ淵』。桜の季節に、千鳥ヶ淵を訪れたことのある人であれば、誰でも見たことがある風景が描かれている。目の前に、桜の木の枝が迫り、その木々のあいだから、千鳥ヶ淵の緑色かかった水面が望める。

この誰もが目にしたことのある風景を、石田は、花びらの一つ一つも、水面のかすかな揺らぎも、疎かにせず、手を抜くことなく、丹念に描ききっている。

横山大観は、『山桜』、『春朝』、『春の水』という3つの作品が展示されていた。いずれも、描かれているのは山桜。花びらは、ソメイヨシノのような白味かかった色ではなく、茶色に近いエンジ色で描かれている。

横山に取っては、桜といえば、ありふれた存在のソメイヨシノではなく、本居宣長がその有名な歌に詠んだ、山桜であった。横山は、桜という植物自体を描いたのではなく、この国の人々にとっての象徴としての、桜という存在を描いたのだ。

展覧会のサブタイトルが、”美術館でお花見!”とされていた。しかし、会場に展示されていた作品を目にして、日本画家たちの、絵画に対する姿勢の凄みが、目の当りに感じられた、そんな内容の展覧会だった。

曾我蕭白を浴びる〜蕭白ショック!! 曾我蕭白と京の画家たち展から


千葉市美術館で開催されていた『蕭白ショック!! 曾我蕭白と京の画家たち』展を見た。

曾我蕭白の主要な代表作が揃った、本格的な内容の、充実した展覧会であった。

蕭白というと、その個性的な人物表現、自然の描写などから、同時代の画家たちとは、全く独立した存在のように思われがちだが、この展覧会では、蕭白を当時の環境の中に位置付ける試みが、展示内容からも工夫されていた。

最初のコーナーでは、山口雪渓、五十嵐浚明、高田敬輔など、蕭白の画風と共通する、蕭白以前の画家の作品が紹介されていた。

蕭白は、当時は中国画家の技法を使う画家の一人と考えられていたようだ。蕭白の山水画には、確かに、雪舟の影響が読み取れる。その個性的な人物表現も、中国の影響が読み取れる。

また、最後のコーナーでは、蕭白と同時代の京都の画家たちの絵画も紹介されていた。伊藤若冲、池大雅、蕪村、円山応挙、そして長沢蘆雪。それは、まるで当時の京都の絵画空間が、現代に蘇ったかのようだった。

『柳下鬼女図屏風』。その表情がグロテスクで、一度見たら決して忘れられない、蕭白の代表作。近づいてよく見ると、顔の中央部分は、剥落しているようだ。しかし、その剥落が、その鬼女の表情を、さらにグロテスクにしている。

『定家・寂蓮・西行図屏風』。いずれも名だたる歌人だが、蕭白にかかると、単なる変なおじさんとしてしか描かれていない。西行に至っては、わらじのひもを結わえている場面が描かれているので、笠で隠れていて、顔自体が描かれていない。

今回、蕭白の絵を見て感じたのだが、蕭白は、手先の描き方に特徴がある。『柳下鬼女図屏風』の鬼女は、左手の指先で天を指しているのが、その表現は、ちょうどレオナルド・ダ・ヴィンチの聖ヨハネの指先の丁度逆になっている。

『瀟湘八景図屏風』のような蕭白の山水画を見ていると、そこでは、人物画に見られる個性的な表現は息をひそめ、まるで雪舟のような、静かさに溢れた自然の心象風景が展開される。

蕭白という大きな世界の中で描かれた様々な絵画を目にしながら、当時の京都という場所に存在した、多様にして華麗な芸術空間の中に、とっぷりと浸かった時間を過ごした気分だった。

千葉市美術館の『蕭白ショック!! 曾我蕭白と京の画家たち』展のページ

2012年4月28日土曜日

宮沢賢治が与えたインスピレーションのかたち


横浜そごう美術館で開催されていた、『宮沢賢治・詩と絵の宇宙 雨ニモマケズの心』展を見た。

宮沢賢治の作品を題材にして、多くの絵本が出版されている。そうした絵本の原画の展示を中心とした展覧会だった。

『風の又三郎』、『銀河鉄道の夜』、『ざしき童子のはなし』など、おなじみの童話の世界が、様々な画家の手によって、想像を膨らまされて、それぞれが独特の世界を形作っている。

一人の作家の作品が、これほど多くの画家に、豊かなインスピレーションを与えていることに、素直に、心を動かされた。

改めて、宮沢賢治の童話を読んで見て、その理由がよくわかったような気がした。

まずもって、宮沢賢治の童話の舞台は、いわゆるイーハトーブ、岩手県の豊かな自然の中でストーリーが展開される。画家は、そうした自然を、自分の世界観で描くことができるのだろう、

また、『風の又三郎』における風の音、”どっどど どどうど どどうど どどう”に代表される宮沢賢治独特の表現が、画家の想像力に、刺激を与えたのかもしれない。

会場には、雨ニモマケズの詩が書かれた、宮沢賢治のノートも展示されていた。死の2年前に書かれた、そのノートを、いろいろなことを思いながら、長い時間、ずっと見つめ続けていた。

横浜そごう美術館の『宮沢賢治・詩と絵の宇宙 雨ニモマケズの心』展のホームページ

2012年4月21日土曜日

持ち去られた日本美術の神髄を堪能する〜特別展 ボストン美術館 日本美術の至宝より


東京国立博物館で開催されていた『特別展 ボストン美術館 日本美術の至宝』を見た。

この展覧会の宣伝文句には、”ボストン美術館の史上最大規模の日本美術展”と記されていたが、その言葉に誤りはなかった。

この特別展の目玉の1つは、ボストン美術館が誇る曾我蕭白のコレクション。会場では、最後のパートがまるまる蕭白にあてられていた。

どんな言葉を使ったとしても、これだけの蕭白作品を目の当たりにした時のその気持ちを、正しく表現することは、とてもできないだろう。

会場のあちらこちらから、「凄い」、「すごいねえ」、「スッゲエ」、という声が聞こえた。まさにその通り、凄い、という言葉しか、他に浮かぶものはなかった。

圧巻は、やはり、『竜雲図』。縦165センチ、横135センチの襖絵が8枚、およそ10メートルの大作が、展示場を支配する。1匹の巨大な竜が、鑑賞者を睨みつける・・・と思いきや、よく見ると、その顔はどこかコミカルだ。

右端に、蕭白は、自分の名前と、34才というこの絵を描いた自身の年齢を記している。それはまるで、「どうだ。俺は34才にしてこんなとんでもない絵を描いたのだ!」と言っているかのようだ。

絵に近づいてよく見て見ると、竜の鱗の1つ1つを、陰翳を付けながら、丹念に描いている。また、筆を振った際に飛び散った、墨の雫もそのまま残されている。この絵を描いたときの蕭白の気迫が、そのまま絵の中に閉じ込められている。

他にも何点か蕭白の作品が展示されている。蕭白の代表作とも言える『風仙図屏風』。

一人の仙人が、干ばつに苦しむ農民たちのために、池に潜んでいた竜を追い出し、恵みの水をもたらすという場面。黒雲となって空にのぼる竜が、屏風の左半分で、とぐろを巻いている。右側では、農民たちがその竜が巻き起こした風に飛ばされている。よくみると、小さなウサギが2匹、その様子に目を丸くしている。画面の中央では、仙人が、剣を手に、竜を池から追い出している。

屏風の左手に描かれている、竜がとぐろを巻いている部分が、とにかく凄い。蕭白は、その黒い物体で、まるで、自然の中にあるエネルギーの固まりを描いているようだ。

この展覧会のもう一つの目玉は、『吉備大臣入唐絵巻』と『平治物語絵巻 三条殿夜討巻』の2つの絵巻物。

『吉備大臣入唐絵巻』は、吉備大臣が唐で妖怪たちを相手に活躍する物語を描いているが、内容がコミカルで、現代のマンガを楽しむような感覚で、肩の力を抜いて楽しめる。

一方の『平治物語絵巻 三条殿夜討巻』は、夜討の場面とあって、緊張感に溢れている。夜討をかける側と、それを迎え撃つ、あるいは逃げる側。よくみると、一人一人の表情もこまかく描かれている。高位の人物と下位の人物では、着物の柄や、身につけている武具が全く違う。そこから、主要な登場人物は、すべて特定できるだろう。

打ち取られた首が、槍の先にさされている場面が、とても印象に深く残った。

この他にも、8世紀の奈良時代に描かれた『法華堂根本曼荼羅図』。平安や鎌倉時代の菩薩像の数々。尾形光琳の『松島図屏風』。伊藤若冲の『十六羅漢図』、『鸚鵡図』なども展示されていた。

東京国立博物館の『特別展 ボストン美術館 日本美術の至宝』特設ページ

日本の型紙がヨーロッパのデザインを変えた〜KATAGAMI style展より

三菱一号館美術館で開催されていた『KATAGAMI styleー世界が恋した日本のデザイン展』を見た。

19世紀の後半以降、海を渡った日本の型紙が、どのように当時のヨーロッパに影響したのかを展望する、画期的にして、非常に興味深い内容の展示会だった。

まず、18世紀以降の日本の型紙の職人芸の細かさに圧倒された。文字通り、針の先で開けられたような小さな点を使い、植物の葉などの自然の形が、絶妙の、美しいバランスで描かれている。

まさに、1つのミスや失敗は許されない。その驚くべき技術と、忍耐力には、ただただ、驚かされるばかりだった。

そうした型紙は、江戸時代の庶民の衣装の地にプリントされた。会場には、型紙によって作られた小袖などの衣装が展示されていた。また、そうした衣装が描かれた、浮世絵の数々も展示されていた。

型紙は、19世紀の後半以降にヨーロッパで開催された万国博覧会で紹介され、ヨーロッパ人を魅了した。その後、短期間の間に、驚くべき数の使用後の型紙が、日本からヨーロッパに売られ、海を渡っていった。

それを最初に取り入れたのは、ウィリアム・モリスらに代表される、アーツ・アンド・クラフツ運動の作家たちだった。会場には、リバティー紹介のテキスタイルが多数、展示されていたが、日本の型紙による影響は一目瞭然だった。

それは、やがて、ドーバー海峡を超えて、ヨーロッパ大陸に広まっていった。フランスのアールヌーボー、エミール・ガレのガラス作品、ミュシャのポスター、モーリス・ドニの平面的な絵画作品などなど。

目の前に、日本の型紙と、そうしたこれまで日本人に馴染みのあった有名な作家たちの作品が並べられ、いかに、日本の型紙がヨーロッパのデザイン環境を変えたかが、言葉でなく、作品そのもので証明される。

影響はフランスに留まらない、ドイツのユーゲントシュティル、ヨーゼフ・ホフマンのウィーンの工房、その他にも、オランダ、ベルギーなどへも影響は続いた。

単に美しい物を並べるだけでなく、また文章で語るのではなく、作品を並べ、その関係性を明確に提示し、鑑賞者に新たな発見を促す。

この展覧会は、これまで見た数多くの展覧会の中でも、とりわけ深く心に印象が残る、忘れがたい展覧会であった。

三菱一号館美術館のKATAGAMI styleー世界が恋した日本のデザイン展の特設ページ

2012年4月14日土曜日

ダ・ヴィンチの名を冠する展覧会の難しさ

Bunkamura ザ・ミュージアムで開催された、『レオナルド・ダ・ヴィンチ 美の理想』展を見た。

レオナルド・ダ・ヴィンチそのもの、というよりは、彼の後世への影響、ということに焦点を当てた展覧会だった。

ダ・ヴィンチの『ほつれ髪の少女』。他にも、いくつかデッサンの作品が展示されていたが、これが最も確実に彼の作品とされ、この展覧会のポスターなどにも使われていた。会場の中でも、最もいい場所に飾られていた。

作品自体は実に素晴らしい。実に美しい。ひとりの少女が、向かって左下を、穏やかなやや悲しげな表情で、見つめている。

髪の部分は、簡素に描かれているだけで、その表情に焦点が当たっている。陰翳だけで、その少女の内面まで写し取ったような、繊細な筆使いで描かれている。

ダ・ヴィンチの作品であることが確実ではないが、その可能性がある作品として、『岩窟の聖母』と『アイルワースのモナ・リザ』という作品があった。

『岩窟の聖母』は、すでに2つの作品が知られている。もともと作品数の少ないダ・ヴィンチが、1つのテーマで3つの作品を描いたと考えるのは、明らかに不自然だろう。

後者のモナ・リザは、他の作家による模写などといっしょに並べられていた。そうした絵と比べると、確かにその技術は群を抜いているように見えたが、作品全体の雰囲気から、私にはダ・ヴィンチの作品とは思えなかった。

しかし、これほど多くのモナ・リザが並んだ光景はある意味で壮観。いかにこの作品が、後世に大きな影響を与えたということが実感できた。

他には、付き人あるいは弟子のように、いつもダ・ヴィンチの近くにいたサライの作品と考えられる『裸のモナ・リザ』や、ラファエロの工房によると思われる作品が、印象に残った。

しかし、よくよく考えて見ると、この展覧会には、小さなデッサンなどを除けば、ダ・ヴィンチの真作といえるものは、『ほつれ髪の少女』のみ。それで、大々的にダ・ヴィンチの名を冠して開催している。

観客の中には、”騙された。金を返せ。”と思う人もいるのではないだろうか?

Bunkamura ザ・ミュージアムの『レオナルド・ダ・ヴィンチ 美の理想』展特設ページ

『三都画家くらべ』展で江戸絵画を堪能


府中市美術館で開催された、『三都画家くらべ』を見た。この日、美術館のある府中の森公園は、桜が満開。多くの花見客が、休日をのんびりと過ごしていた。

現代であれば、新幹線で2時間半、飛行機で1時間の東京と大阪だが、江戸時代は、徒歩で行くと、なんと1ヶ月と言う長い期間を費やさなければならなかったという。

江戸時代の人が感じていた、江戸と京や大阪との距離感は、現代人が感じる、東京と京都・大阪との距離感とは、全く違っていたに違いない。

京都からは、円山応挙、池大雅、尾形乾山、長山芦雪、呉春、与謝蕪村、曾我蕭白、伊藤若冲などの作品が。江戸からは、狩野探幽、司馬江漢、宋紫石、葛飾北斎、谷文晁、英一蝶、歌川国芳などの作品が紹介されていた。

この展覧会の特徴は、これまであまり紹介されることがあまりなかった、林閬苑、森狙仙、上田公長、佚山などの大阪の絵師の作品にスポットを当てていること。

大阪は、港町ということもあってか、長崎経由でもたらされた中国の絵画技法の影響を受けた作品が多いようだ。

蘭学者としても知られる渡辺華山による桃花図扇面。江戸時代における知識階級の人物の才能の多彩さを感じさせる、小品ながら見事な作品だ。

歌川広重の武蔵多満川図。浮世絵のイメージとは異なる、伝統的な手法で描かれた水墨画。今の調布付近の多摩川の湖畔を描いているが、現在の風景からは全く想像もできない風景がそこにある。

長沢蘆雪のなめくじ図。ナメクジが歩いた後が、一筆書きで描かれている。はたして、本当の意味で、この図を描いたのは、芦雪なのかナメクジなのか?

江戸時代を代表する、蒼々たる絵師の作品を満喫し、桜の花が舞い散る中を、満足感一杯で帰途についた。

府中美術館の『三都画家くらべ』展のホームページ

2012年4月8日日曜日

桜の咲く季節 セザンヌと会す


桜が満開の頃、新国立美術館で開催された『セザンヌーパリとプロバンス』展を見た。

セザンヌの絵と言うと、サント・ヴィクトワール山に代表される風景画、リンゴに代表される静物画、人間の個性が感じられない物のような肖像画・・・といったものを自然と思い浮かべてしまう。

それは、まるで、日本人が桜を見る時に、それを単なる花として見れないような、そんな固定概念のようなものが、私たちを邪魔してしまう。

しかし、この展覧会では、そうした固定概念を、いい意味で壊してくれる作品が多くあり、春の一日をとても楽しめることができた。

セザンヌが、20才の頃に自宅の装飾用に描いたという、それぞれ四季を表す大きな4つの作品。パステル調の色合いで、四季を代表する女性像がそれぞれ描かれている。後年のセザンヌの人物画像とは全く異なった趣の作品だ。

セザンヌが、第1回印象派展に出品した『首吊りの家ーオーヴェール=シュル=オワーズ』。ピサロらの印象派の人々との交流を始めた頃の作品で、印象派の影響を受けているのがわかる。セザンヌのタッチは、この後、もっと荒くなっていくが、この作品ではそれに比べると繊細なタッチで、何気ない風景を、趣あるものにしている。

『サンタンリ村から見たマルセイユ湾』。マルセイユ湾のやや濃いめの青と、空の淡い青が、キャン版のほぼ全体を覆っている。その2つの青の色が美しい。セザンヌにとって、空とか海とかいう違いは、あまり関係なかったのかもしれない。セザンヌは、単にこの2つの色合いを描きたかったのだろう。

『水の反映』。湖の木々の緑が反映している。実際の木々の緑と、湖に映っているその反映が、ほとんど区別がつかないほど、荒いタッチで描かれている。

『フォンテーヌブローの岩』。岩肌が、やや紫色がかった色で彩色されている。それが、岩を、なにか生命観を持った不思議な存在にしている。

『トロネの道とサント=ヴィクトワール山』。絵の前に立っていると、サント=ヴィクトワール山が、こちらに迫ってくるように感じられる。セザンヌの故郷にそびえるこの山は、彼に取って特別な存在だった。その表現力には、ただただ圧倒させられる。

セザンヌの肖像画は、表情が細かく描かれていないので、一見すると、個性が感じられないように見える。しかし、セザンヌは、表情でなく、別なもので、その人物像を表そうとしている。

『座る農夫』。この絵を見ると、まず、その手の異様な大きさにまず目がいく。その反面、顔が不釣り合いなほど小さい。この年老いた農夫は、その一生のほとんどを、畑仕事に費やしてきたのだろう。セザンヌは、そのことを、手と顔の表現で表したかったのかもしれない。

『りんごとオレンジ』。実に不思議な静物画だ。一見すると、りんごやオレンジは、空中にフワフワと漂っているように見える。よくよく見ると、確かにテーブルの上に置かれているのだが、テーブルの上に、白と鮮やかな色のシーツが広げられているので、そのテーブルがよくわからずに、まるで浮いているような印象を与える。

『牛乳入れと果物のある静物』。これも不思議な静物画だ。白い皿がテーブルの上にあるのだが、その向きが明らかに不自然で、この皿だけが別な方向から描かれているようだ。こうした表現が、後のピカソなどに影響を与えたのだろう。

晩年の3つの作品。『5人の水浴の男たち』『サント=ヴィクトワール山』『庭師ヴァリエ』。セザンヌは、晩年を故郷のプロヴァンスで、絵を描いて過ごした。この3つの作品を見ると、対象はいずれも異なるが、同じものを描いているように見える。セザンヌが描こうとしていたもの。それは、個々の対象を超えている存在、とでもいうべきものだろうか。

巨匠の名を欲しいままにし、後世の多くの画家から”礼賛”されてきたセザンヌ。この展覧会では、どうしてそれほどまでにセザンヌが讃えられるのか。その一端をかいま見ることができた。

『セザンヌーパリとプロバンス』展の特設ページ