2012年3月29日木曜日

春の院展で日本画にお腹いっぱい

日本橋三越で開催されていた、第67回春の院展を見た。

入選点数314点、同人作品展数32点、出品総点数346点。これだけの日本画を短い時間で味わうと、その多様さに、ただただ圧倒される。

描かれていたテーマは実に多彩だった。

何といっても、圧倒的に風景画が多い。季節は春、夏、秋、冬。何気ない都会や田舎の景色もあれば、遠い外国の風景もある。朝もあれば、昼もあり、夜もある。

人物画も多い。しかし、描かれているのは圧倒的に女性が多い。男性を描いた絵もあるが、ほとんどが外人を描いたもの。男は絵にならないのだろう。和服の女性、洋服の女性、裸の女性などなど。

動物の絵も目についた。花鳥風月的な伝統的な作品もあれば、犬やネコなどの身近な生き物を描いた作品もある。

描き方もいろいろ。しかし、日本画の特徴は、その丹念な筆使い。時々、思わず目を近づけて、どのように描いているのか、じっくりと観察してしまう。

これだけ多くの作品を一度に見ると、自分が好む絵の傾向がよくわかって面白い。外国の風景、女性、そして、非現実的な感覚の絵。それらが、私の今の好みのようだ。

そうした作品の中で、印象に残った作品は以下の通り。順番に特に意味はない。

小野田尚之『映』。山のほとりの緑に満ちた景色が、田んぼかあるいは池にきれいに映っている。その水の上に映った景色の美しさにただただ見とれた。

山口裕子『春よ恋』。不思議な色彩感覚の世界の中で、ウサギたちが思い思いに戯れている。ウサギの背中には、鮮やかな花々が飾られている。何とも不思議な世界。

三浦愛子『夢と寝台』。画面右手の寝台に、一人の人物が仰向けに横たわっている。この風景は、この人物が見ている夢の中の世界なのか?どことなく、クリムトを思い出すような作品。

岡倉天心が設計した茨城県五浦海岸の六角堂を描いた作品が何点か目についた。六角堂は、昨年の東日本大震災後の津波で流出してしまった。それらの絵が語っていることは、私たちの心に素直に伝わってくる。

三越美術館の春の院展の特設ページ

日本美術院のホームページ

2012年3月27日火曜日

田中敦子、アイオー、福島秀子・・・アート盛りだくさん、刺激的


東京都現代美術館で開催されていた、田中敦子ーアート・オブ・コネクティング、アイオー ふたたび虹のかなたに、特別展示ー福島秀子のそれぞれの展覧会を見た。

田中敦子は、1954年に結成された”具体”という芸術家集団で主要メンバーとして活躍していた。

会場には、カラフルな点と線で構成される田中の作品が、整然と並べられていた。


アイオー(実際は漢字なのだが、変換で表示されないのでカタカナで記述する)は、虹、レインボーを様々な形で表現することで知られている。

ニューヨークにわたり、身の回りに溢れる様々な個性的なアーティストに囲まれ、その中でこのアイデアを思いついたのだろう。

アイオーは、オノヨーコらとともに、フルクサスのメンバーとして活躍していた。当時のパフォーマンスの写真が展示されていた。まるで、大学の学園祭でワイワイガヤガヤやっている感じ。今のアーティストは、ちょっと大人しくなったのだろうか・・・


観光地の記念撮影のように、ここで撮影が可能。美術の展覧会では珍しい。でも、記念写真を撮っている人は見かけなかった・・・

部屋いっぱいに、虹でえがかれた様々な絵が並ぶと壮観。特に目についたのは、花札に描かれた絵柄を並べて、屏風にした作品。


常設展示の会場では、福島秀子の作品を中心に、1950年代に活動した、実験工房た具体美術協会の作品が、展示されていた。

実験工房には、作曲家の武満徹らも参加していた。様々なジャンルのアーティスト達が集まり、前衛的な芸術活動を展開した。

アンフォルメルを主導していたミシェル・タピエは、福島秀子の作品に注目し、直接、彼女のアトリエを訪れたという。


屋外の展示場には、トランスゾーラー+近藤哲雄による、Couldscapesも展示されていた。左上にある箱の内部は、そのちょうど中間の部分に、雲が作られている。

階段を上ることで、地上から雲を突き抜けて、雲の上に出るような感覚が味わえる。

時代の違う、いろいろなアーティスト、アート集団の作品が、一度に鑑賞でき、とても刺激的な時間を過ごすことができた。

2012年3月25日日曜日

法隆寺あるいは聖徳太子を慕う風景


日本橋高島屋で、法隆寺展が開催された。

創建あるいは再検討寺の古い瓦屋根。聖徳太子をかたどった仏像、絵画。法隆寺ゆかりの品々などが展示されていた。

それらの作品をみると、どうやら、聖徳太子を敬う人たちは、聖徳太子と仏陀そのものを重ねてイメージしているように見える。

聖徳太子が書いたと言われる、三経義疏。そのうち、維摩経義疏の写本が展示されていた。本当に聖徳太子が書いたかどうかは、諸説があるようだが、日本に仏教が伝わった時代の息吹を残した書物であることは間違いない。

今年2012年は、聖徳太子が亡くなってから1390年目にあたる。

聖徳太子は、天皇家の一員として、当時の政治にも深く関わっていた。有力な政治家、蘇我馬子のブレーンのような存在になり、実際の先頭にも加わった可能性もある。

今日では、宗教的なイメージが強く漂うが、本当の姿は、もっと泥臭い、人間味に溢れた人物だったのかもしれない。

2012年3月11日日曜日

古筆手鑑にみる日本の文字文化 Truth and lies of Japanese ancient calligraphy

出光美術館で開催されていた、古筆手鑑 国宝『見努世友』と『藻塩草』展を見た。

古筆手鏡とは、昔の時代の人々の書いたものを、1ページほどの大きさに切り取り、それを台紙に貼付けて、書の見本としたもの。

この展覧会では、おもに平安時代から鎌倉時代までの古筆を集め、江戸時代に作成された、国宝の『見努世友』と『藻塩草』と、その他の古筆手鑑が展示されていた。

江戸時代。江戸や大阪に商人を中心とした庶民階級が誕生した。彼らは、平安時代の貴族の暮らしに憧れ、彼らの書いた作品に対する重要が高まった。その需要に応えたのが、古筆手鑑だった。

過去の貴重な作品を切り刻み、なるべく多くの古筆手鑑を作ろうとしたのだが、需要はそれ以上に多かった。そこで、一部は本物を使い、残りは、別人の作品を、本物と偽って使うことがほとんどだった。

展示されていた『見努世友』と『藻塩草』にも、”伝紀貫之”や”伝西行”などの説明書きが見られる。この”伝”は本人でないことを意味する。

勿論、それは後世の研究で明らかになったもので、古筆手鑑が作られた江戸時代は、それを本物として売り出していたのだろう。

しかし、購入した人にとっては、本物かどうかは、本当はたいした問題ではないのかもしれない。偽物の西行の筆跡をみながら、西行に思いを馳せ、時にその気分になって書を書いたり、歌を詠んだりする。その行為自体が、実に贅沢なことなのだ。

本物であるかどうかは別として、人が直接書いたものと、印刷されたものを読むことは、もしかしたら、決定的に違う行為なのかもしれない。

現代の私たちは、源氏物語にしても、徒然草にしても、基本的には印刷された活字で作品を味わう。それを、本人もしくは写本にしても、手で書かれたものを読む場合とでは、
読者の中で生まれてくるものは、かなり違うものなのではないか。

その意味で、私たちは、日本の古典作品を、本当の意味では、味わうことはできないのかもしれない。

出光美術館のホームページ

2012年3月4日日曜日

ジャクソン・ポロックのリズムに乗って Taking on the rhythm by Jackson Pollock


東京国立近代美術館で開催されていた、生誕100年ージャクソン・ポロック展を見た。

ポロックの初期の作品から、最晩年にいたる作品まで、ポロックの生涯にわたる作品を鑑賞できる貴重な体験だった。

現在は、イランのテヘラン現代美術館が保有している『インディアンレッドの地の壁画』は、縦1.8メートル、横2.5メートルの大作。大きな部屋に、その作品だけが置かれていた。そうした展示場の演出の効果もあったが、とにかく、部屋に入ったときから、その絵に引き込まれた。

俗にアクション・ペインティング、ポラック自身はポーリングと呼んでいた、そのあまりに有名な手法。床にカンバスを置き、絵の具をカンバスにたらし込んで(ポーリングして)いく。

ポロック自身は、ポーリングによって描かれる線は、決して偶然ではなく、作者による意図があると言っている。しかし、その一方で、作成している時、自分は何も考えていない、とも言っている。

ポーリングされていく絵の具を制御できるのは、作者ではなく重力だけだろう。それが絵画に独特のエネルギーを与える。それは、紛れもなくポロックの作品だが、人間の意図を離れた偶然性を多分に含んでいる。

そのポーリングの線が複雑に絡み合っている。いくら見つめていても、その度に新たな線を発見できる。その絵画の複雑性が、絵画に独特のリズムを与えている。絵画が、まるで自然の音楽の楽譜のように見えてくる。それが、ポロックのリズムだ。

ポロックは、生涯にわたってピカソをひとつの目標にしていた。また、インディアンの芸術や、メキシコのオロスコの作品にも影響を受けていた。そうした影響が、彼の絵画に、野性を感じることの原因かもしれない。


会場には、ポロックのアトリエを再現したコーナーがあった。


展示されていた絵の具やペンは、ポロック自身が実際に使っていたものということだった。

東京国立近代美術館の展覧会の特設ページ

2012年3月3日土曜日

ルドンが幻想の中に見たもの What Redon saw in his fantasy


東京の三菱一号館美術館で開催されていた、ルドンとその周辺−夢見る世紀末、という展覧会を見た。

ルドンは、私が最も好きな画家の一人。リトグラフ、パステル画、油彩画。風景画、人物画・・・とにかく、ルドンの幻想的な世界を満喫できた。

若い頃の作品には、木を描いた作品が多いが、それは、ルドンは晩年のカミーユ・コローから直接受けたアドバイスの影響によるのだという。

石盤画集『夢の中で』に描かれている、ルドンの作品を代表する、幻想的なリトグラフの数々。人の顔が気球になって空を飛んでいたりする。ルドンが、幻想的なイメージとは別に、気球など、当時の最先端の技術にも高い興味を持っていた。

『瞳をとじて』のリトグラフ。オルセー美術館にある油彩画と同じ構図。一人の髪の長い人物の頭部が描かれている。その人物は、静かに瞳を閉じている。他には何も描かれていない。

この人物は、瞳をとじて、その頭の中でどんなことを考えているのか、どんな風景を見ているのだろうか。ルドンの魔術にかけられた私たちは、この絵から、様々なことを想像させられる。

会場の最後に置かれた『グラン・ブーケ』。縦2メートル50センチの大作。ルドンが描く花は、単なる表面的な花ではない。花の持っている怪しく退廃的なエネルギーと、それが周りの空間に及ぼす影響。それらが、ルドンの絵の中で、微妙な陰翳で、表現されている。

ルドンが生き、活躍した時代は、ちょうどそっくり、印象派の時代と重なる。華やかなイメージの印象派と、ルドンに代表される幻想的で象徴的な絵画。19世紀のパリは、さまざまな芸術が花開いた、まさに芸術の都だった。

ルドン以外にも、師のブレスダン、ギュスターブ・モロー、アンリ・ファンタン=ラトゥール、ムンク、ゴーギャンなどの絵画も展示されていた。

中でも、モーリス・ドニの『なでしこを持つ若い女』が印象に残っている。淡く、やや暗めのパステルカラーで描かれたその絵の中で、白いなでしこの花を持った女性が、こちらを振り向いていた。

グラン・ブーケの作品を除くと、すべての展示品は、岐阜県美術館の収蔵作品ということだった。寡聞にも、この美術館のことはこれまで知らなかった。改めて、日本には多くの優れた美術館があることを知った。

三菱一号館美術館の展覧会特設サイト