2012年1月29日日曜日

ヴィジュアリスト 今和次郎という存在 Wajiro Ima as a visualist

パナソニックミュージアム汐留で開催されていた、今和次郎・採集講義展を見た。

今和次郎は、一言で定義するのが、実に難しい人物だ。

若い頃は、柳田國男の元で、日本の農村調査、民家研究に携わった。記録が残っているだけで、84カ所を訪れ、実に細かく描写された数多くの絵を残している。

それらの絵は、単なる調査資料とは呼べない何かを有している。美術とは呼べないが、芸術の域に達している。

関東大震災に遭遇した今は、がれきの中に次々と人々の手によって作られていったバッラク家に注目した。そこに、多くの農村でみたのと同じ、人間として生きるということの、原点を見たのだろう。

モダンなビルが建ち並んだ都会には、一見すると、人間の営みは人工的になってしまったように見えるが、実はその底には、農村と同じ人間の根源的なエネルギーが、隠されていた。今は、それを震災後の東京に発見した。

彼の関心は、人間という存在の、あらゆる側面に向けられていった。震災間もない銀座を歩く人々の生態を記録した『東京銀座街風俗記録』は、この展示会のハイライトだ。

銀座の一日のある一定時間において、そこを通った人々の服装、靴、襟の形、髪型、等々。それらを形状と合わせて、何人いたのかという記録が、実にわかりやすい図式で説明されている。

今は、また建築家としての一面も持っており、何件かの家や建物の建築。デザインなどの業績も残している。それには、彼の絵を描く、という根本的な才能が役立っている。

今は、基本的には、物事を絵や図に表現する、ヴィジュアリスト、ということができるだろう。今は、多くの文章も残しているが、そのヴィジュアルな成果こそが、今という人物の本質を表している。

We can not define Wajiro Ima as. He is a painter, a architect, a folklorist, a designer and others. I think he is a visualist who thinks by visual and expresses by visual.

When he was young, he had been to around 90 places in Japan and captured the people's life by paintings various things like home and goods.

Ima faced a big earthquake in Tokyo of Taisyo period. He walked around Tokyo and watched the people's reaction to the disaster. After that, his attention had changed to people's living in cities.

He visualized many things like clothes, shoes, hair cut, foods and etc by his unique charts and paintings.

He also designed some houses and buildings.

I don't know any person like Ima in Japan history. He is unique and inspire me so much.

パナソニック汐留ミュージアムの特設ページ

2012年1月22日日曜日

フェルメールからのラブレター展から読み解く Reading the letters from Vermeer

Bunkamura ザ/ミュージアムで、フェルメールからのラブレター展が開催された。

フェルメールの手紙にまつわる3作品、<手紙を書く女と召使い><手紙を読む青衣の女><手紙を書く女>が一度に見られる、貴重な機会だった。

同時に、ヤン・ステーン、デ・ホーホ、ダウらの作品も多数展示され、フェルメールの作品と比較できたのが良かった。

フェルメールの3作品は、いずれも室内で、光が左から入り込んでいるという構図。壁に絵や地図がかかっており、人物がいて、机の上にちょっとした小物が置かれてる。

フェルメールは、明らかに、光を中心にそれぞれの絵画を描いている。人物や背景の物との延長線が、光の線を表しているように見える。絵を見る人の視線が、光が入ってくる左側に集中するように描いている。

また、他の画家と比べて明らかに違う点は、そのシンプルな構成にある。他の画家達は、風俗画として当然のことだが、画家の眼に映るすべてのものを描こうとしている。絵の中には、人物や物など、実に多くのオブジェクトが書き込まれている。

フェルメールは、絵の中の構成要素を、彼が描きたいことを最大限に効果的に表現するために、最小限に絞り込んでいる。

フェルメールが、日本人の好まれる原因は、印象派と同様な光の使い方と、そのシンプルな構成にあるのだろう。

Three Vermeer's paintings were exhibited at Bunkamura Museum. All are related to letters.

Another paintings by Dutch painters lived in 17th century also were displayed. I could compare them with Vermeer's.

Vermeer seemed to aim to express light's effect in his works. Vermeer's works are like  impressionist's works.

Vermeer painted minimum objects in his works to effect his aim maximum. It made his works simpleness.

Japanese peoples like Vermeer so much. I guess the reason are his way of painting like I described.

フェルメールからのラブレター展の特設ページ

北京故宮博物院200選と清明上河図 Two hundred selected masterpieces from the Palace Museum of Beijing and Along the River During the Qingming Festival

東京国立博物館で開催されていた北京故宮博物院200選を見た。

この展覧会の目玉は、清明上河図。初めての海外貸し出しとなった中国の至宝。国内でも展示の機会は限られており、香港で展示した際は、5〜6時間待ちの列ができたという。


私が行ったときは、200分待ちだった。

列の向こうに、初めて目にした印象は、”黒くて長い巻物がある、よくわからない。”というものだった。次第に近づき、ガラス越しに覗き込むと、そこに細かい筆で描かれた、川沿いの人々との賑わいが現れてきた。

とにかく、細かい。よくぞ、と呆れるほどに細かく、人々が街並が描かれている。これは、美術と言うよりは芸術だ。まさに、芸、だ。人々の表情、屋根の瓦の一枚一枚、藁葺き屋根のその藁の一本一本までが描かれている。

始めは、白黒の絵のように見えたが、よーく見ると、完成当初は、鮮やかなカラーで彩られていたことがよくわかる。900年の数奇な運命の中で、その色は次第に褪せていったのだろう。

そもそも、作者や描かれた背景も、現在考えられていることが真実であるという確証はない。何度も宮廷外に持ち出され、前世紀に発見されたことが、まるで奇跡ともいわれる。あまりに有名であるため、その模写作品が世界中に50以上もあるという。

作品自体はもとより、そうしたエピソードが、この作品を、特別なものにしている。この作品は、見て終わり、という性格のものではない。見たときから、見た人の中で、何かが始まる。そんな奇妙な作品なのだ。


I saw one of best Chinese art works "Along the River During the Qingming Festival" at the exhibition of Tokyo National Museum. It is first time that the painting is presented outside of China.


The painting was drawn around 900 years back. It was colorful at that time but now I need to see carefully to find some color in it. Almost color has gone in 900 years.


But I can enjoyed the painter's unbelievable technic so much. The size of painting is 24cm * 5m. 550 peoples, 100 houses and 50 boats is drawn in the painting. The thin of the line is just like a hair.


There are around 50 copies of the painting because it was well known as a masterpiece too much. The painting was beyond just a art works and become a legend.

北京故宮博物院200選の特設ページ

2012年1月15日日曜日

ウメサオ タダオ展 日本科学未来館 Tadao Umesao, National Museum of Emerging Science and Innovation

日本を代表する知の巨人、梅棹忠夫の生涯と、知的生産の現場を再現した、興味深い展覧会を見た。

梅棹の生涯をたどると、世界中を駆け巡りながら、様々な学会を始めとした対外的な活動をこなし、さらに、数多くの著作を出版している。

忙しい日常の中で、どうしてあれほどの著作をものにできたのか?その秘密も、会場には展示されていた。

世界中を巡る学術調査の際に残した、写真やメモ、スケッチなどの膨大な記録。そして、様々なアイデアを、”こざね”とよばれる小さなメモ用紙に記録して、興味のある分野毎に、その他の資料とともにファイリングしていく。

その作業自体は、実に地道な作業だが、それを積み上げることで、あれだけの成果を残すことができたのだ。

また、知というものについて、その成果だけではなく、それを生み出す過程、そして、それをどのように表現するか、ということに着目した点が、梅棹が他の知の巨人たちと大きく異なる点だ。

梅棹が”展示”というものについて、単に陳列するだけではなく、総合的なコミュニケーションメディアと定義し、日本展示学会を立ち上げた、というエピソードが印象的だった。

『知的生産の技術』や『文明の生態史観』は、出版されてから40年以上を経た今日でも、増版を続けている。その理由が、この展覧会を見て、よくわかった気がする。

Tadao Umesao is a intellectual giant in Japan. The exhibition displayed his life and the way of creating his intellectual works.

He published many book in his busy life like the scientific investigation in foreign con tries and the academic activity. He used mini memo cards and filing system for his achievements.

He noted not only intellectual outcomes but also the creating process and the way of displaying. He established the Japan society for exhibition study.

His books has been sold for more than 40 years. I can make sense the reason from the exhibition.

日本科学未来館によるウメサオ タダオ展の特設ページ

隠元禅師と黄檗文化の魅力 日本橋高島屋 Zen master Ingen and Obaku culture

隠元禅師は、1654年に度重なる依頼を受けて、福建省から日本を訪れ、その後、帰る予定を変更し日本に止まり、1661年に今の萬福寺を創設した。

中国は、当時、明が滅び、満州族による清が成立したばかりで、社会が大きく混乱していた。隠元禅師は、そうした時代環境を受けて、日本に止まることを決意したのだろう。

臨済宗、曹洞宗に続く、日本における第三の禅宗として黄檗宗を称し、停滞が続いていた日本の禅の世界に、大きな刺激をもたらした。

禅の世界に止まらず、煎茶、インゲン、スイカ、レンコン、タケノコなど、今の日本の食生活には当たり前の食材を日本にもたらした。

その他にも、現在の原稿用紙のスタイル、書体の明朝体、木魚の仕様など、隠元禅師の日本文化に与えた影響は、実に大きい。

会場には、隠元禅師の肖像、自身の書、萬福寺の羅漢像、水墨画を始めとした絵画や工芸品が展示されていた。

伊藤若冲は、京都の青物問屋に生まれた。おそらく、食材を通じて萬福寺と関係があったのだろう。萬福寺は、若冲の作品を何点か所有しているようで、展示も行われていた。

若冲というと、ダイナミックな色使いや構図、といったイメージが強いが、展示されていたのは、シンプルな構図の水墨画だった。若冲のある一面を楽しめた。

Ingen, a zen master come to Japan in 1654 by accepting request many times. He planned to back to China at first but finally he stayed in Japan. He built Manfuku temple at Kyoto.

Qing dynasty just replaced Ming and China society was confused so much at that time. He might decided to stay in Japan from the situation.

Ingen brought many cultural thing like foods, writing style and others to Japan. He established third Zen party in Japan and affected his way to existing zen parties.

Jyakucyu Ito, a famous painter was born in the greengrocer's family in Kyoto. Jyakucyu might communicated with Manfuku temple through his family business. Manfuku temple has some his paintings.

I saw some his works at the exhibition. They are very simple ink paintings. Jyakucyu is famous for colorful and dynamic one. I was very impressive with the simpleness.

黄檗山萬福寺のホームページ

2012年1月9日月曜日

ジャン=ミシェル オトニエル:マイウェイ 原美術館 Jean=Michel Othoniel, May Wai, Hara Museum

昨年、パリのポンピドゥーセンターにて開催され、20万人が訪れたというオトニエルの回顧展”マイウェイ”の縮小版が、原美術館で開催された。


会場の入り口にあった展示会の名称も、オトニエルの作品。


会場は、撮影が可能。日本では珍しい。海外では、ほとんど撮影可能な国もあるので、日本でも、もっとそうなるとよい。


「涙(Lagrimas)」



「涙(Lagrimas)」の一部。

松本零士の銀河鉄道999の中で、涙がクリスタルになるという美しい女性の登場人物がいた。

涙の理由にはいろいろある。それぞれの涙をよくみてみると、この作品のように、いろいろなものが見えてくるのかもしれない。



「自律する大きな結び目(Le Grand Noeud Autoporte)」


「 黒い心、赤い涙(Black Hart, Red Tears)」

色彩と、感情が、美しいハーモニーを奏でている。この作品自体が、音楽の楽譜のようだ、


「ルアー(Les Leurres)」


「乳首の絵画Ⅰ(Tits Paintings I)」

男性という性からみた、女性という存在を、象徴するような、奥深い作品。


「ハピネス ダイアリー(Diary of Happiness)」

日本の”そろばん”みたい。毎日の自分の気持ちを、ガラスの位置で表しているのだろうか?こんな日記なら、誰でも、毎日、忘れずに記せそうな気がする。

その日記を、あとで見返してみると、音楽が流れているようにみえるだろう。


「リングと乳首(Rings and Tits)」


「 ラカンの結び目(Le Noeud de Lacan)」

ラカンって、あの心理学者のこと?「自律する結び目」という作品もそうだが、オトニエルは、結び目と、心理的なものを結びつけて考えているようだ。



「 ラカンの大きな結び目(La Grand Double Noeud de Lacan)」

それにしても、沢山の人が鑑賞していてビックリ。原美術館で、これほど多くの人を見たのは初めてだった。

2012年1月2日月曜日

歌川国芳展 森アーツセンターギャラリー Kuniyoshi Mori Aty Center Gallery


国芳ほど、ダイナミックな絵を描いた浮世絵師は他にいないだろう。北斎もダイナミックだが、北斎にはまだ計算されつくした面があるが、国芳の絵は、何かを突き破ってしまった、という感じを受ける。

大きな魚、怪物などが、画面いっぱいに描かれ、その周りに、小さく、それを退治あるいは捉えようとする人間が描かれる。国芳の典型的なパターンだ。

人間の体を組み合わせて、人の顔を描くという、独創的なアイディア。

西洋絵画の技法を使って、多くの風景画を描いている。その絵は、広重の風景画とは、全く違う世界が描かれている。

東海道五十三次のパロディだろうか。その全ての地名をダジャレにして、猫を描いている絵がある。日本橋は、二本のカツオブシをネコが食べようとている。ニホン(カツオ)ブシということだろう。

すべての宿場町の名前に、ダジャレとネコを描いている。そのウィットに飛んだアイディア、発想には、ただただ感心させられた。

Kuniyoshi Utagawa drew dramatic and dynamic paintings at Edo period. His paintings is similar to Hokusai. But Kuniyoshi is more crazy than Hokusai.

He drew animals and ghosts so big in his paintings. He drew a human's face composed by many human bodies. These composition is very unique.

He likes cats so much and painted menu cat's paintings. He also created a parody painting of Fifty-three stations of Tokaido, a very famous Hiroshige's work by drawing 53 cats.

歌川国芳展の特設ページ

広重 東海道五十三次 サントリー美術館 Hiroshige's Fifty-three stations of Tokaido, Santory Museum of Art


江戸時代末期の絵師、武士の家に生まれたという珍しい経歴を持つ歌川広重は、1830年頃に、東海道の53の宿場町を舞台に浮世絵を作成し、大きな成功を収めた。その後、何度も同じシリーズで作品を発表した。

サントリー美術館で行われた展覧会では、そのうちの2つの版を展示していた。

広重自身が取材したのか、他に企画した人物がいたのかどうかでは私にはわからないが、それぞれの宿場町について、ワンパターンにならず、いろいろな場面や風景を描いていることに、改めて感心させられた。

しかも、広重は、その生涯におよそ20シリーズも作成していたというから、さらに驚かされる。

そして、もう一つの楽しみは、現在のその土地の風景とのギャップを楽しむこと。その余りにもの変わり用に、この国をおおいつくした近代化の歴史について、改めて考えさせられる。

品川は、左手に海が描かれ、右側に宿が建ち並ぶ街道が続いている。川崎は、浜辺につくらた小さな漁村。小田原は、山裾に、小さな集落が描かれている。

広重の東海道五十三次を手に、現在の東海道を旅する。これほど、贅沢な旅は、他にないのではないだろうか。

Hiroshige Utagawa, the painter of Fifty-three stations of Tokaido, was born in a samurai family and become a painter. He published the work at around 1830s and got big hit. He drew approximately 20 series of Tokaido in his life.

It measn he painted around 1,000 paintings for 50 stations of Tokaido by different ways. He is one of greatest painter of landscape in Japan.

The city which Hiroshige drew has been changed so much in around 300 years. I can not guess which paintings is which city only by seeing.

I want to travel through Tokaido with the paintings by Hiroshige.

サントリー美術館の展覧会のページ