人間にとって、死は誰にも訪れる、逃れられない宿命だ。古代エジプト人は、人間は死後も再び蘇ることができると考え、ピラミッド、ミイラ、死者の書などを作り、その一部が、今日まで伝わっている。
森アーツセンターギャラリーで開催された、「大英博物館 古代エジプト展」で、大英博物館が所有する、膨大なミイラ、死者の書などの一部を、見ることができた。
この展覧会の目玉は、紀元前10世紀ごろに作られ、いままで発見されている中では、最長の37メートルにもなる死者の書である、「グリーンフィールド・パピルス」。特別室に、その全てが展示されていた。
内容は、この死者の書を作らせた人物が、ミイラとなる所から始まり、やがて、オシリス神の前で、生前の行いについて審判を受け、ついに再生し、冥界の楽園に到着するまでが描かれている。
このパピルスは、上部に絵が描かれ、下部に、いわゆるヒエログリフで文章が書かれている。下部のヒエログリフは、さっぱり意味が分からないが、上部の絵の部分を見ると、当時の人々の考え方や、当時のエジプトの様子などが垣間見える。
絵の中には、ワニ、ヘビ、牛、サル、タカ、ライオン、などの様々な動物が描かれている。あるものは、神の姿として描かれている。当時のエジプトには、実に多くの動物が暮らしていたのだということがわかる。
「グリーンフィールド・パピルス」は、丸められた状態で発見されたが、その並び順は、バラバラだったという。内容を解読し、順序付けたのは、バッジという古代エジプトの研究者だった。
このバッジという人物は、映画のインディ・ジョーンズみたいな人物で、自らエジプトを何度も訪れ、多くの古代エジプトの文化財を派遣し、イギリスに贈った。エジプト人から見れば、祖先が残した貴重な宝の略奪者、ということになるが、彼がイギリスに持ち帰っていなければ、現在、私たちが目にすることはなかった。文化財の保護について考えるにあたり、大きなジレンマがそこにはある。
会場には、最も完成度が高く、美しいといわれる「アニの死者の書」の複製も展示されていた。この「アニの死者の書」は、他ならぬバッジが発見し、イギリスに持ち帰ったものだ。
「死者の書」が最初に作られたのは、紀元前1700年頃だと考えられている。それまでは、独立した書ではなく、ミイラを収める棺に、同様の内容がヒエログリフや絵で描かれていた。会場には、「コフィンテキスト」とよばれるそうした内容が書かれた、棺も展示されていた。
エジプトは、”ナイルの賜物”という言葉にもあるように、ナイル川の恩恵を受けて、古代から農作地帯として発展した。一般の人々も、小麦から作ったビールを味わうなど、比較的豊かな暮らしをしていた、と考えられている。王や金持ちであれば、なおさら豊かな暮らしをしていただろう。
だからこそ、それらを全て失ってしまう死への恐怖は、誰よりも強く感じていたのかもしれない。その死への恐怖が、膨大な、ミイラや死者の書などを生み出し、それが今日では、古代エジプト文明を代表する遺産となっている。
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