美術・芸術関連の展覧会に行った時の感想をアップします。もし興味があったら、ご覧ください。My comments to the art exhibitions in Japan.
2012年8月11日土曜日
”輝ける皇妃 エリザベート展”に見る 一人の女性の数奇な人生
1837年に現在のドイツ、バイエルンで生まれ、世紀末の1898年に亡くなったこの女性を、人はエリザベートと呼んでいる。
バイエルン王家の一員として生まれ、時のハプスブルグ・オーストリア皇帝のフランツ・ヨーゼフに見初められ、わずか14才で王妃となった。
その後のエリザベートの生涯は、完全に公のものとなった。日本橋三越で開催された、『輝ける皇妃 エリザベート展』では、彼女の生涯にまつわる、様々なものが展示され、その数奇な生涯を辿ることができる。
エリザベートは、フランツ・ヨーゼフとの間に、4人の子供を設けたが、皇太子となったルドルフは、父親との確執から謎の死を遂げた。
夫の母、ゾフィーと性格が合わず、王室の退屈な暮らしを嫌い、その広大な帝国の領土を、自分のために作られた専用列車で、放浪生活を送っていた。彼女一人のために、わざわざ時刻表まで作られた。展示会場には、その時刻表が展示されていた。
エリザベートは、自らのスタイルと美貌を強く意識し、生涯、その維持を怠らなかった。おそらく、彼女にとって、自分のその美しい体だけが、自分の思いのままになるものだったのだろう。それ以外のものは、全て、彼女の周りで決められた。
しかし、エリザベートが身につけた、ドレス、アクセサリー、調度品などは、すべてが彼女のために製作されたものだった。会場に展示された、それらの品々の多くには、彼女の頭文字である、”E”の文字を、見つけることができた。
特に、大きなEマークが刻まれていたベルトが印象に残った。ウエスト50センチ、といわれているが、確かに、細い。会場を訪れた多くの女性たちの中でも、このベルトを締めることができる女性は、数が少ないだろう。
エリザベートの生涯は、そのものが劇場だった。すべてが公開されており、誰もが、その悲喜こもごもの人生を、自らの人生と重ねたり、共感を感じることができる。
会場の最後のコーナーに、エリザベートのデスマスクが飾られていた。60才を過ぎたその顔は、お世辞にも美しいとは言えない。すでに若き頃の面影が、消えかかっていた。もしかしたら、その時期で、この世を離れることができたのは、自らの美に生きたエリザベートに取っては、幸せだったのかもしれない。
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