2012年7月21日土曜日

ただただ美しい世界を見た バーン=ジョーンズ展


バーン=ジョーンズというと、ラファエル前派の画家とされる。しかし、その存在は、いつもガブリエル・ロセッティ、ジョン・エバレット・ミレーの次、いわば第2グループに置かれてしまう。

この三菱一号館美術館で開催されたバーン=ジョーンズ展では、彼を一度、ラファエル前派という枠から取り外し、一人のアーティストとして捉え直すという、野心的な取組が行われた。

ロセッティやミレーは、伝説や物語に関する絵画を多く描いたが、同時に周囲に人々の様子なども多く描いていた。バーン=ジョーンズの作品のテーマは、ほぼ伝説や物語に限られている。この点が、明らかに、バーン=ジョーンズを、他のラファエル前派の画家達と、違う存在にしている。

聖ゲオルギウスの連作シリーズのうちの1枚。イギリスののどかな田園風景の中で、初期キリスト教の伝説の聖人、ゲオルギウスが、その剣で竜を退治している。その右手では、救われた乙女が、手を合わせて祈りを捧げている。

聖ゲオルギウスは、冷静な表情で、まるで日常の些細な事柄を実行するような手軽さで、足下の竜の口に剣を突き通している。竜は、聖ゲオルギウスとほぼ同じくらいの身長で、弱々しく、むしろ、この絵を見ていると、退治される竜の方に同情してしまう。

トロイ戦争の発端となるエピソードを描いた「ペレウスの響宴」。横長の画面一杯に、美味しそうな食べ物の載った食卓が描かれ、その周りに、ゼウス、アテナなどのギリシャの神々が描かれている。

この絵は、どうみても、ギリシャ神話というよりは、キリスト教の最後の晩餐を連想してしまう。バーン=ジョーンズは、個別の宗教にこだわらない、むしろ宗教や古代の物語に共通する、神話性、とでもいえるものを描きたかったのだろう。

バーン=ジョーンズは、ラファエル前派のメンバーでありながら、ラファエロいうよりは、むしろボッティチェリやミケランジェロの作品から、多くのインスピレーションを得ていたようだ。「ペレウスの響宴」にも、ボッティチェリの「春」に描かれているような、色とりどりの花が、地上に描かれている。

バーン=ジョーンズのいくつかの絵画には、ボッティチェリの「春」に描かれている三美神のイメージが、何度も描かれている。バーン=ジョーンズのお気に入りのイメージだったのだろう。

眠り、もまたバーン=ジョーンズの絵画によく登場するテーマだ。眠り姫、いばら姫の連作や、「聖杯堂の前で見る騎士ランスロットの夢」などの作品に描かれている。眠りのテーマは、象徴主義にも通じ、バーン=ジョーンズをヨーロッパ大陸の象徴主義者たちと、深く結びつけている。

会場の最後の部屋に飾られていた「東方の三博士の礼拝」のタピストリ。縦2.6メートル、横3.9メートルに渡る、色鮮やかなタピストリ。何度も多くの画家のテーマとなってきたこの絵画だが、私は、これほど美しいタピストリ、これほど美しい「東方の三博士の礼拝」の絵をみたことがない。

このタピストリを見るだけでも、この展覧会に出かける価値がある。

最後に、珍しい、自らを戯画化した自画像が置かれていた。多くの作品を目の前に、困惑するようなコミカルな様子のバーン=ジョーンズが、イスに座っている。

留まることなく湧き上る作品のイメージに、制作が追いつかず、困惑するバーン=ジョーンズ。本人は、実にユーモア心にあふれる人物だったというが、彼のほとんどの作品からは、そうした側面はほとんど感じられない。この絵は、そのギャップが秀逸で、微笑ましい気持ちで、会場を後にした。

この展覧会の印象を一言でいえば、ただただ美しい世界を見た、とでも言うことができるだろうか。

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