震災で開催が中止されたセガンティーニ展が、開催される運びになった。待ちこがれていた展覧会だった。
”アルプスの真昼”。キャンパスの上部に広がる青。この絵は、この青がすべてだ。単に、青で塗りつぶしているわけではない。線描で、白などを交えながら、繊細な技術を使い描かれている。
”死んだノロジカ”。幼くして死んでしまったシカが、麦わらのベッドの上に横たわっている。その顔は、穏やかで、かすかに、微笑んでいるように見える。これほど、動物に対する慈愛に満ちた絵を、私は知らない。
セガンティーニの代表作であるアルプス三部作。その作品の習作が何点か展示されていた。実際の作品とは、多少ながら構図が異なっている。セガンティーニの、この作品に対する思い入れの深さが読みとれる。
彼が描いたものは、自然、そこに暮らす人々、動物、など。セガンティーニの、そうした対象に対する限りない愛が感じられる。派手なテーマは何一つない。しかし、そこには、この世界のすべてが描かれている。
損保ジャパン東郷青児美術館の展覧会のページ
Segantini's blue in the painting "Midday in Alps" is beautiful. No another word except just beautiful.
"Dead Roe-Dear". A dead row-dear on wheat straw. I felt Segantini's love to the dead dear. I don't know such a lovely animal paintings ever.
Segantini painted country side, peoples living there and animals like sheep. The theme of his paintings is very simple and pure. But his paintings includes everything of our world.
美術・芸術関連の展覧会に行った時の感想をアップします。もし興味があったら、ご覧ください。My comments to the art exhibitions in Japan.
2011年12月31日土曜日
長谷川等伯と狩野派 出光美術館 Hasegawa Tohaku and Kano School, Idemitsu MOA
長谷川等伯というと、ぼんやりとしたタッチの”松林図”が有名だが、この展覧会では、等伯の別な側面を十分に味わえた。
等伯は、当時の主流は狩野派に対抗して長谷川派という絵師集団を率いていた。武士や貴族の幅広い要求に応えるために、狩野派のように、多彩な作品を作成していた。
等伯は、1539年に今の石川県の七尾市という地方の町に生まれながら、やがて京都にのぼり、当時を代表する絵師となった。彼の実力ゆえに、なしえたことなのだろうが、当時の日本の状況も反映しているように思える。
竹虎図屏風。2匹の虎が竹とともに描かれている。等伯は、おそらく実際の虎を見たことはなかっただろう。これは、どうみても、猫を見て描いたに違いない。今日の私たちからみると、微笑んでしまうような絵だが、当時はこれが虎のイメージだったのだろう。
等伯が影響を受けたという牧谿の、平沙落雁図と鳥図。屏風絵と比べると、実に小さな絵だが、その存在感は、等伯はもとより、狩野派の絵を完全に圧していた。落雁が、薄い墨で細かく描かれている。それは、雁というより、への字が横に並んでいるだけだが、その抽象的な描き方が、逆に雁の様子をよく表している。
鳥図は、1匹の鳥が絵だに止まって、左上を向いているだけの絵だ。しかし、その鳥の存在感が素晴らしい。鳥の眼は、何の迷いもなく、ただ虚空を見つめている。というより、彼の世界を見据えている、といった方がいいかもしれない。
それは、鳥ではなく、牧谿自身の、あるいは、それをも超えた、存在というものの、あるべき姿のように見えてくる。
等伯が、おそらく実現したかった世界がそこにある。
Hasegawa Tohaku was a painter in early 17th century. He was a rival of Kano party which dominated the art market at that age. He was born in local village of north Japan and come to Kyoto after 30 year old.
Mokkei is a chinese painter. Tohaku respected him so much. I saw his paintings, "wild gooses" and "a bird". The bird in his painting is not just a bird but a symbol of existing.
Tohaku painted 2 tigers in his paintings. The tigers is just like cats. Maybe he had not seen actual tigers and he painted them by seeing cats around him.
等伯は、当時の主流は狩野派に対抗して長谷川派という絵師集団を率いていた。武士や貴族の幅広い要求に応えるために、狩野派のように、多彩な作品を作成していた。
等伯は、1539年に今の石川県の七尾市という地方の町に生まれながら、やがて京都にのぼり、当時を代表する絵師となった。彼の実力ゆえに、なしえたことなのだろうが、当時の日本の状況も反映しているように思える。
竹虎図屏風。2匹の虎が竹とともに描かれている。等伯は、おそらく実際の虎を見たことはなかっただろう。これは、どうみても、猫を見て描いたに違いない。今日の私たちからみると、微笑んでしまうような絵だが、当時はこれが虎のイメージだったのだろう。
等伯が影響を受けたという牧谿の、平沙落雁図と鳥図。屏風絵と比べると、実に小さな絵だが、その存在感は、等伯はもとより、狩野派の絵を完全に圧していた。落雁が、薄い墨で細かく描かれている。それは、雁というより、への字が横に並んでいるだけだが、その抽象的な描き方が、逆に雁の様子をよく表している。
鳥図は、1匹の鳥が絵だに止まって、左上を向いているだけの絵だ。しかし、その鳥の存在感が素晴らしい。鳥の眼は、何の迷いもなく、ただ虚空を見つめている。というより、彼の世界を見据えている、といった方がいいかもしれない。
それは、鳥ではなく、牧谿自身の、あるいは、それをも超えた、存在というものの、あるべき姿のように見えてくる。
等伯が、おそらく実現したかった世界がそこにある。
Hasegawa Tohaku was a painter in early 17th century. He was a rival of Kano party which dominated the art market at that age. He was born in local village of north Japan and come to Kyoto after 30 year old.
Mokkei is a chinese painter. Tohaku respected him so much. I saw his paintings, "wild gooses" and "a bird". The bird in his painting is not just a bird but a symbol of existing.
Tohaku painted 2 tigers in his paintings. The tigers is just like cats. Maybe he had not seen actual tigers and he painted them by seeing cats around him.
2011年12月25日日曜日
感じる服 考える服:東京ファッションの現在形 東京オペラシティアートギャラリー Feel and Think : A New Era of Tokyo Fashion at Tokyo Opera City Art Gallery
ファッション、というより服装は、社会や文化の影響を強く受ける。この展示会のような、多様な服装が受け入れられる社会は、社会自体が、多様なものを受け入れる社会であることを意味する。
私たちの多くは、普段はあまり深く考えずに、既成のブランドの服を着ている。しかし、時には、デザイナーが直接手がける服を着ることも、考えてもいいかもしれない。
単に、カワイイ、キレイ、シック、オシャレ、という出来合いのイメージだけではなく、そこから一歩奥に入った、服装のコンセプトに立ち入って、着る服を選んでもいいかもしれない。
この展示会では、展示構成が得意なものだった。展示スペースの中に、大きな梁が、まるで通るのを邪魔するかのように、張られていた。
鑑賞者は、漫然と次のアーティストの展示にいくことができず、必ず背をかがめ、気持ちを新たにし、次のデザイナーの作品に向かい合う。
ユニバーサルデザインの視点からすると、問題のある展示構成だが、試みとしては、非常に興味深かった。
東京オペラシティアートギャラリーの展覧会のページ
Fashion is influenced by the society and culture. Various kinds of fashion means the society accepts various things.
The peoples usually wear well known clothes like Zara, H&M. But we should consider another options like selecting the clothes which designers touched to directly. We should go beyond just Kawaii, Beauty and Cool.
The exhibition space was occupied by linage. Each space of designers is separated by the lianas. I needed to bend my body to go to next space. It was interesting attempt but not comfortable for some peoples.
建築、アートがつくりだす新しい環境 東京都現代美術館 new spatial practices in architecture and art
建築は、私たちの身の回りにあふれている。私たちは、そこで寝て、食べて、働いて、時間を過ごす。建築が、新しい環境をつくりだす、というコンセプトは、受け入れやすい。
しかし、アートは、どうであろうか?
それは、私たちの環境を変えるほど、私たちの身の回りにあふれているのだろうか?
ビジョイ・ジェインにより2005年に設立されたスタジオ・ムンバイ。建物が建てられる環境を優先し、その地域の素材を使って建物を構築していく。
専門的な設計図などではなく、模型や、簡単なデッサンなどを使い、メンバー全員でアイデアを共有しながら、作業を進めていく。
ビジョイが、私と同じ年の生まれということもあり、その地に足の着いたプロジェクトに進めたに、大きな印象を受けた。
単に、結果としての作品、建物だけに注目するのでなく、それが作られる過程がにじみでてくるような、そんなアート、建築を、時代は求めているのかもしれない。
ヴェンダースの”もし建築が話せたら・・・”という映像作品が上映されていたが、そうしたアートや建築とは、上手く会話できそうな気がする。
東京都現代美術館の展覧会のページ
There are many architectures around us, but how about art works? I can accept the concept witch architecture create new environment, but how about art? Is art familiar with us more the architecture?
I impressed with Studio Mumbai by Bijoy Jain. They build their works in local town by very simple drawings or prototypes without detail design documents.
We want to see or have art works or architecture which they present us the process how they are created. We can communicate with them very easy.
登録:
投稿 (Atom)